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日本百名城

No.15 足利氏館(あしかがしやかた)
別 名  ―
城地種類 平城
築城年代 平安時代末期~鎌倉時代初期
築城者 足利義兼
主要城主 源氏、足利氏
文化財・史跡 史跡・鑁南寺の建造物として国宝1棟、重文2棟他
 天守の現況
関連施設 鑁南寺、足利学校
所在地(訪城日) 栃木県足利市(2017/07/19)

案内図
 鑁阿寺(ばんなじ)はもともとは足利氏の館であり、現在でも四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されている。館の創建は、平安時代末期~鎌倉時代初期に足利義兼によって築かれた。


太鼓橋と山門
  太鼓橋は唐破風様の屋根がついた橋で、江戸時代に再建された。後ろの山門は室町時代兵火にあい、永禄七年(1196)、足利義輝によって再建された。


山門に向かって左側の堀と土塁

山門に向かって右側の堀と土塁
館は周囲を水堀と土塁で囲まれ、中世地方武士の居館「形方館」の形状がよく残っている。


鑁阿寺本堂
正安元年(1299)に再建され、鎌倉時代の代表的寺院建築として国宝に指定されている。


大銀杏
  樹齢550年といわれ、江戸時代には既に大木であり、樹下において青年男女の見合いが行われていて、縁結びのご神木ともいわれている。


鐘楼(重要文化財)
   建久七年(1196)、義兼が本堂に次いで創建。本瓦葺、入母屋造りで袴腰附、鎌倉時代の飾りけのない禅宗建築の代表的なものといわれる。


経堂(重要文化財)
   現存の経堂は応永十四年(1407)関東管領・足利満兼によって再建された。堂内には一切経二千余巻を蔵する。


北門
   開祖・義兼の子、義氏は父の建てた鑁阿寺維持のため、堀の外に12の支院を建てその筆頭を千手院とした。この北門はその千手院の門であったものを移建したものである。薬医門としては規模が大きく、典型的な江戸末期の形式を有している。


東門

西門


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