宿
中山道遊山旅


2013/09/19




宿
上松宿 3里9丁=12.7Km 須原宿




上松宿上町
 天保十四年の上松宿は、本陣1、脇本陣1、旅籠屋35軒と比較的大きな宿場だった。当時の上松は木曽檜の集積地でもあり、旅人だけでなく木材を扱う人々でも賑わっていたからだそうだ。
 上松宿も他宿同様何度も大火に見舞われている。特に昭和25年(1950)の大火で古い建物はほとんど消失してしまったが、上町付近は大火から免れ古い家がわずかながら残されている。
 また、棟札に明和三年(1766)落成と記されている玉林院の山門鐘楼も火災を免れ残っている。

上松宿上町

玉林院山門鐘楼
 昔の面影のかけらもない本陣跡の前に「夫婦道祖神と水速女命」と刻まれた石塔が並んでいる。水速女命は、日本神話に登場する神であり、日本における代表的な水の神である。これまでの中山道では見聞きしなかった神様である。

水速女命:みずはやめのみこと

夫婦道祖神と水速女命

上松一里塚跡碑
 道祖神から100mほど行くと道が桝形に曲りその角に上松一里塚跡碑がある。江戸より72番目の一里塚である。
 一里塚跡の少し先に上松駅前の交差点、その先の下町交差点を左に入って行く辺りが宿外れである。上松駅200m、木曽駒ヶ岳登山道5.4kの道標が立っている。

 少し行くと斎藤茂吉歌碑、次いで藤村文学碑がある。
・駒ケ嶽見てそめけるを背後にし
  小さき汽車は峡に入りゆく 茂吉
・山はしつかにして性をやしない
  水は動いて情をなぐさむ  酒落堂之記より 藤村

齋藤茂吉碑

島崎藤村文学碑
 文学碑の少し先に諏訪神社の鳥居がある。鳥居をくぐると上松小学校校庭、本殿はその奥にあるとのこと。

 鳥居の隣に《尾張藩上松材木役所御陣屋跡》碑と案内板が立っている。当時、木曽の材木は厳重に管理されていて、無断で一本でも切り出せば首が飛んだといわれるほど厳重な管理が行われていたそうだ。

諏訪神社鳥居

国道19号陸橋より寝覚集落を望む
 諏訪神社を後にすると下り坂、中沢橋を渡り見帰集落を抜け、国道19号の上を越えていく。
 やがて古民家が見えてくる。街道時代の立場茶屋《たせや》と《続膝栗毛》にも登場し、芭蕉も訪れたという有名な蕎麦屋の《越前屋》である。創業は寛永元年(1624)、寿命蕎麦は今も絶大な人気があるそうだ。
 たせやと越前屋の間の道を下って行くと《寝覚の床》、木曽川の激流が花崗岩の岩盤を長い年月にわたって浸食してできた国指定の史跡名勝天然記念物である。

見帰:みかり

たせや(手前)と越前屋

寝覚の床
 越前屋の少し先に津島神社、大宮神社仮参拝所、青面金剛などが祀られた一角に桂の木がそびえている。幹の周囲が4.1mもある巨木であり上松町の天然記念物に指定されている。
 しばらく山間の道を行きJR中央線に沿って下った先でガードをくぐり国道19号に合流する。 
 合流後ほどなく、中山道六十九次の浮世絵に描かれた《小野の滝》が街道沿いに見られる。細川幽斉が「老の木曽越」のなかでべた賞めした滝であるが、明治42年中央線の鉄橋が真上に架けられ往時の風情はないらしい。

桂の大木

JR中央線に沿って下る

小野の滝

萩原一里塚跡碑
 滝から国道19号を少し行くと旧道の分岐に萩原一里塚跡碑が置かれている。しばらく旧道を行き再び国道に戻るところには二十三夜塔がある。
 その先で再び国道を離れJR中央線のガードをくぐるり山中へと入って行く。

二十三夜塔

国道19号より左の山中へ
 山中に入りしばらくすると右眼下の展望が開ける。JR中央線や木曽川が見下ろせる。木曽古道が分岐した少し先で廃屋と思われる古民家の軒先を過ぎると次第に道は心細くなり、やがて踏み跡さえ定かでない草深の路となる。
山中に入り展望が開ける

廃古民家

踏み跡さえ定かでない中山道

国道側から倉本駅を見上げる
 頼りない細い道をしばらく歩くと国道に合流し、ほどなくJR中央線 倉本駅の下に出る。国道側からは駅に行けない。少し先でガードをくぐり駅前に出る。

 駅から500mほど行くと古民家の残る桃山の集落に入る。

山間の草叢に倉本駅

桃山集落
 集落を抜けると庚申塔が集められ傍らに解説板が立っている。
 草生す道から林道風の道に出てしばらくすると国道に合流、角に中山道の道標と《木曽殿を経て空木岳へ》の道標が並んで立っている。国道をしばらく行くと標高688m、大桑村の表示が見える。
 国道に出てから単調な車道歩き小一時間、ようやく左に分岐する道に《須原宿》の大きな看板を見る。

  《須原宿〜野尻宿》 へ続く

庚申塔群

国道19号大桑村に入る(標高688m)

須原宿入口
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