宿
中山道遊山旅


2013/09/19




宿
福島宿 2里14丁40間=10.03Km 上松宿




福島宿上町
 徳川幕府4大関所のひとつである福島関所を抜けると福島宿の上町である。天保十四(1843)の宿場規模は、本陣1、脇本陣1、旅籠屋14軒と小規模だったが今は普通の商店街に変貌している。
 すでに午後6時に近く、疲れてもいたので早々に予約した宿《むらちや》に向かう。昨夜予約したのだが、水曜日は夕食はお休みとのことで多少不安だったが、木曽福島駅に近いし近くにコンビニや、スーパーもあるとのことで高を括っていた。風呂で汗を流し食事に出たのだが、駅までの道は薄暗く店一軒見当たらない。駅前でさえ土産物屋を兼ねた蕎麦屋があるだけ。コンビニ弁当は食べる気になれず、蕎麦屋で夕食を済ませることにした。
民宿:むらちや

木曽福島駅
 予定ではもう一泊して中津川まで行くつもりだったが、今日帰ることにする。昨日わずか20数キロ歩いただけで、両足裏に靴擦れによる水ぶくれに加え両脚ともに筋肉痛、これまで30キロ近く歩いても筋肉痛も靴擦れもまったくなかったが、猛暑のこの夏の2ヶ月半ほどまったく運動しなかったのが災いしたのか、靴が合わなかったのだろう。
 宿で朝食を済ませ、木曽福島駅で帰りの切符を手配する。ジパングは緑の窓口でしか使えないからだ。今日は中央線に沿った中山道を行けるところまで行くつもりである。
 木曽福島駅前を後にするとすぐ道標で狭い路地に導かれる。さらにとても特急が停まる駅周辺とは思えない草深の細い路へと続いている。通勤路にも使われているようだが幸い要所に《中山道》の道標があるので迷うことはない。
 車が通れる集落の道に出るとほどなく塩渕の一里塚跡碑が民家の庭先と思えるところに置かれている。この道が参勤交代の大名行列が通った往還であるとの案内板が立っている。
 シオという地名は川の曲流部につけられることが多く塩渕も木曽川の曲流部にできた渕である。

これが中山道

塩渕の集落

塩渕一里塚跡碑と中山道標柱

トンネルの手前で右に折れる
 新国道19号線の工事などで中山道もつけかえられているのだろう。トンネルの手前を右に折れ新国道19号線をくぐって行く。再び国道をくぐってトンネルの先に出る。尚このトンネルは、明治に初めて通った中央線のトンネルだったそうだ。
 トンネルの少し先で国道に合流するがすぐに中央線を渡って反対側の道に出る。国道左に残った神戸(ごうど)集落を行くと御嶽遥拝所がある。木曽路の内、御嶽山を仰げるのはここと鳥居峠だけである。遥拝所の鳥居は寛永(1632)の記録があるそうなので相当に古いものである。
御嶽山遥拝所

中央線と国道を見下ろす
 遥拝所を後にすると右下方にJR中央線と国道19号線が延びているのが一望できる。線路沿いの道を下り陸橋でこれを渡り国道に戻る。
 国道を少し行くと一里塚、上松の北の入口である沓掛にある。明治43年(1910)中央本線の鉄道敷設工事の折に山側の一基は取り壊され川側の一基が残された。江戸より71里、京へ66里である。
 一里塚から600mほど行くと《木曽の桟》が見えてくる。中山道三大難所の一つに数えられ、当時は粗末な桟で、木曽川の激流を渡っていたそうだ。現在はダムが造られ穏やかな流れとなっている。

沓掛一里塚

木曽の桟
 桟を出て再び国道を行く。単調で辛い国道歩き、新国道トンネルの手前で右の旧国道をしばらく行くと十王橋、上松宿入口と書かれた標柱が立っている。

  《上松宿〜須原宿》 へ続く

上松宿入口
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