宿
中山道遊山旅


2013/07/02(火)




宿
贄川宿 1里31丁=7.24Km 奈良井宿




贄川駅前
贄川宿
 記録に残る宿場規模は本陣・脇本陣各1、旅籠屋25軒、木曽11宿の始まりの宿場であり関所も設けられた宿場であった。
 中央線 贄川駅前を通り過ぎると“贄川宿”と書かれた大きな看板の少し先に線路を挟み贄川関所が見える。そこが贄川宿の入口である。

贄川:にえかわ
贄川関所跡
 陸橋で線路を渡り、少し戻ったところに贄川関所がある。当時の道筋は贄川駅の裏を通り関所前に出たそうだ。当初は予備的番所として設けられたが、木曽十一宿の始まりでもあり後に正式な関所になったそうだ。「抜け駆け」や「木曽檜」「檜細工」の無断流出を取り締まるためのものもので、関所は昭和51年、古図から復元されたとのこと。

線路の向こう側に贄川関所跡

贄川宿の町並み
 昔、河原から熱湯(温泉)が湧き出ていて、煮えたぎった熱い湯で“にえかわ”から“贄川”の名がついたそうだ。
 他宿同様、ここも何度か大火に見舞われ、特に昭和5年の大火被害はすざましく、家の大半が失われてしまったという。公民館の前が本陣だったそうだが、町並みに標柱や案内板の類がないのでなにがなんだかよく分からない。
 見るべきものがほとんどない町並みの中、額束に《津島神社》と《秋葉神社》と記されたりっぱな鳥居があり、奥に二つの祠と道祖神が祀られている。
津島神社、秋葉神社

深澤家住宅
深澤家住宅
 贄川宿の中心にある。建築年代が明らかで、保存状態も良く、江戸時代末期の木曽地方における宿駅の町家の姿を忠実に留めていることから平成17年、国の重要文化財に指定された。
 深澤家を後にし線路を渡り国道に出る。少し行くと国道の右手にトチノキの巨木が見える。

贄川のトチ
 樹齢千年を超えるトチノキで、長野県の天然記念物に指定されている。元文四年(1740)の書物に、「栃の大木一本有り」との記述があり、260年前にはすでに大樹であったらしい。

 巨木の少し先の国道歩道添いに石塔群が並んでいる。国道工事などの際、集められたものだろう。 

線路を渡り国道に出る

贄川のトチ

後側

石塔群

仮設路
 石塔群の先で国道工事が行われている。工事用の仮設路が中山道である。しばらく行くと仮設路は国道から離れ中山道碑や津島神社などが見られる雰囲気の良い中山道へと導かれる。

中山道碑

津島神社
 石塔群なども見られる雰囲気の良いところだ。街道時代からの道幅と思われる桃岡集落を抜けると、国道際の畑の中に一里塚跡碑が立っている。《押込の一里塚》で江戸から63番目の一里塚である。
桃岡集落の石塔群

桃岡集落を行く

押込の一里塚跡

中山道は国道から左に分岐
 一里塚のすぐ先で国道に戻り、その先で奈良井川を渡り次いで中央線をくぐる。この先中山道は、国道を左に右に縫って行く。

二十三夜塔
 旧道には古い家や芭蕉句碑、二十三夜塔などが見られる。二十三夜塔の案内板に“神に願かけ叶はぬならば 二十三夜さまお立ち待ち”と書かれ、月が出るまで飲酒談合して待つのだが「お立ち待ち」といって月が上がるまで腰を下ろさず立ち続けると解説されている。

古民家:吉久屋

二十三夜塔
漆器の町 平沢
 二十三夜塔から数分で漆器の街 平沢に入る。古くから輪島、会津と共に漆器の日本三大産地の一つとして栄えてきた集落だ。漆器は、江戸時代からみやげ物として人気があり今でも、漆器を扱う店が2キロにわたり延々と立ち並び、休日には観光客でにぎわうそうだ。今日は平日、閑散としている。

道の両側に漆器の店が立ち並ぶ

御嶽山三社大神
 漆器の町を抜けると御嶽山三社大神の先で中央線の踏切を渡る。すぐに右折し奈良井川沿いに15分ほど歩き、奈良井川の対岸に出る。さらに中央線を渡り返し線路沿いに奈良井駅に向かう。踏切を渡った辺りから学校帰りの小学生が話しかけてきて、駅までいろいろ話をしてくれた。

      《奈良井宿〜薮原宿》 へ続く

奈良井川沿いに行く

奈良井駅前、話しかけてきた少年とお別れ
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