宿
中山道遊山旅


2013/09/18





宿
奈良井宿 1里13丁=5.3Km 藪原宿




奈良井駅
 中山道歩きも自宅から遠くなるに従い、情熱は徐々に薄れていく。交通の便は悪いし費用もかさむ、木曽路には魅力を感じるものの、この先の奈良井宿、妻籠宿、馬籠宿はすでに訪問済、車道歩は少なくない。ということで、ついつい計画するのさえ億劫になっていた。

 京都などに大雨による災害をもたらした台風18号が去った9/17、この素晴らしい秋晴れが数日間続くとのこと。家でくすぶるのは愚の骨頂と重い腰を上げ、すぐに明日の宿と切符の手配をした。
 大宮駅発7時27分、立川、塩尻を経て奈良井駅着11:11。駅を出るとすぐに奈良井宿となる。秋晴れとは言え平日のためか観光客はまばらだ。国の《重要伝統的建造物群保存地区》に選定された街並みに電柱や電線は全く見当たらず、街道時代にタイムスリップしたような街並みが続く。
奈良井宿入口

奈良井宿の街並み

奈良井宿の街並み

杉の森酒造
 軒下に大きな杉玉を吊り下げた建物は、寛政五年(1793)創業の「杉の森酒造」で220年ほどの歴史を持つ酒屋さんだ。杉玉は、創業以来吊るされているとのこと。

杉玉:杉玉とは、スギの葉(穂先)を集めてボール状にした造形物。酒林とも呼ばれる。日本酒の造り酒屋などの軒先に緑の杉玉を吊すことで、新酒が出来たことを知らせる役割を果たす。吊るされたばかりの杉玉はまだ蒼々としているが、やがて枯れて茶色がかってきて、新酒の熟成の具合を知らせることになる。
 七間間口の《徳利屋》は、戸時代に脇本陣をつとめ旅籠として使われた建物であり、島崎藤村や正岡子規といった有名な文人・文豪が泊まったこともあるそうだ。今は、手打ちそばや三色五平餅など出すお食事処となっている。
徳利屋

水場
 鳥居峠を行く人、来る人の渇きを癒してきた水場。奈良井宿では、そこかしこに見ることができる。水場は街道の山側にあり、宿場に水が豊富なことを物語っている。単純に飲料や洗物をするだけでなく、利用者の憩いの場や情報交換の場ともなっているそうだ。

 水場右奥の赤松は、樹齢400年の巨木である。津島神社の御神木として中山道を行き交う旅人を見続けてきたのだろう。
 街並みをしばらく行くと道は鍵の手に曲り《中山道奈良井宿名所 鍵の手》と書かれた碑が立っており、ここにも水場がある。

 宿場はずれに高札場がある。昭和48年に復元されたものだ。そのすぐ先にも水場があり次いで奈良井の人々の疫病を鎮るため下総国香取神社から勧請した鎮神社。本殿は寛文四(1664)年に建立されたものだ。鳥居峠を越えていく旅人は道中の安全を祈願していったそうだ。

鍵の手

高札場

鎮神社

鳥居峠登り口
 鎮神社から10分ほど行くと山道が分岐する。登山口には大きな案内板と《下る奈良井宿 上る鳥居峠》と刻まれた小さな石の道標が置かれている。
 石段を上ると石畳の路となる。何度か木橋で沢を渡り、曲がりくねった古の路を行く。涼しやかな沢の音、心地よい良い森の風、路傍はツリフネソウの花盛りだ。
 しばらくして葬沢の休憩舎、壁に菊池寛《恩讐の彼方に 鳥居峠》の解決板がある。葬沢は、天正十年(1582)木曽義昌と武田勝頼が戦った古戦場、敗れた武田方500余名の戦死者でこの沢が埋まり、これを葬った場所であることから名付けられたそうだ。

石畳の路

葬沢休憩舎
 葬沢を後に相変わらず街道時代を彷彿とさせる路を行く。急坂を登り、鳥居峠一里塚碑を経て《峰の茶屋》休憩舎にたどり着く。江戸時代に名物茶屋があったところで水場も残っている。「奈良井駅3.0km」、「藪原駅3.4km」などの道標や《村界(楢川村/木祖村)標高1197m》の標識などが立っている。
 少し先には「熊も人が怖いのです、鐘で知らせてあげよう」などと書かれた看板と小形の鐘が吊り下げられている。思いっきり鐘を鳴らして先へ進む。

峰の茶屋休憩舎

水場

熊除けの鐘

栃の木が群生する路

子産みの栃
 この辺り元々の中山道は失われ、栃の木が群生する明治になってからの路となる。中に《子産みの栃》と呼ばれる大木がある。大木の空洞に捨て子が置かれていたとの伝説があるそうだ。この辺りは熊の出没地帯なのだろう、所々に熊除けの鐘が設けられている。
  しばらく行くと鳥居が見える。その奥に御嶽神社が鎮座し、御嶽山遥拝所となっているが立ち入り禁止のロープが張られている。木曽側から上ってくると、最初に御嶽山が見える場所なので木曽義元が戦勝祈願の鳥居を建て御嶽神社を祭ったのである。以来、多くの旅人が御嶽山に手を合わせたことだろう。
御嶽神社鳥居

《信濃十名所 鳥居峠》碑と両側の句碑
 遥拝所から急坂を下るとベンチの置かれた義仲硯石の広場に出る。《信濃十名所 鳥居峠》と彫られた石柱が立ち、右に《雲雀より うへにやすらう 嶺かな》と彫られた芭蕉句碑、左は《嶺は今朝 ことしの雪や 木曽の秋》の法眼句碑。
 広場からの三叉路、中の路は丸山公園経由、左の中山道を下る。熊除け鐘(3ヶ所)の設けられた急坂の路、もちろん都度、力いっぱい鐘を鳴らしながら下る。しばらくすると再び石畳の路となる。石畳の路から5分ほど下ると民家が見られ熊の不安から解放される。
再び石畳の路

天降社のオオモミジ
 藪原駅1.1kmの道標の先に天降社のオオモミジが見える。樹高14m・目通り幹周囲2.45mで木祖村の天然記念物に指定されている。
 天降社の少し先に「原町清水」と呼ばれる水場があり、傍らに水神様が祀られている。峠を越える旅人の喉を潤してきた清水であり、今でも飲み水として使用されているそうだ。
 水場からさらに下ると《飛騨街道追分》と書かれた標柱が立っている。ここは奈川を経て野麦峠 ・ 飛騨高山へ通ずる飛騨街道の追分だった。この街道は、岡谷の製糸工場で働く飛騨の女工たちが頻繁に往来した道だそうだ。

  《藪原宿〜宮ノ越宿》 へ続く

原町清水

飛騨街道追分
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