宿
中山道遊山旅


2013/07/02(火)





宿
本山宿 2里=7.8Km 贄川宿




格子戸の古民家
本山宿
 本山宿は、本陣・脇本陣各1、旅籠屋34軒と比較的大きく、そば切り発祥地としても有名で、そばを売る店が並び、ここで休憩する旅人も多く賑わった宿場だったそうだ。
 本山宿は大火にも見舞われず今も格子戸のある古い家など風情ある家並みが残されている。

出梁造りの古民家

元旅籠 川口屋
日出塩の青木
 宿外れの少し先で国道19号に合流、JR中央線との間をしばらく行き踏切を渡る。少し先の工場裏手に《日出塩の青木》なる場所がある。貴人の塚の上に、江戸屏風の絵にもなった名木の大桧があったそうだが、今は工場裏に朽ちかけの標柱と碑と若木があるのみだ。そこからしばらく歩くと旧国道に合流する。日出塩集落の入口で一里塚跡碑が立っている。江戸より61里で《日出塩の一里塚》と呼ばれていた。

国道19号とJR中央線の間を行く

街道沿いの案内板

日出塩の青木

一里塚跡と日出塩集落

長泉院
 日出塩集落を行くと左手に長泉院という寺があり、山門前に庚申塔などが並べられている。そのすぐ先が日出塩駅の入口となっている。

 駅前を過ぎると道祖神や秋葉大権現などの石塔が並んでいる。その先で、国道19号をくぐりながら合流する。

道祖神

国道19号をくぐった先で合流
“是より南 木曽路”碑
 国道を15分ほど行くと“是より南 木曽路”の道標が立っている。信濃路の旅が終わり、ここからは木曽路の旅となる。道標の100mほど先に“是より南 木曽路”と刻まれた石碑がある。裏側には“歌に絵に其の名を知られたる木曽路はこの桜沢の地より神坂に至る南二十余里なり(但し、ひらがなはすべてかたかな)”などと彫られている。江戸時代にはここが松本藩と尾張藩の領界であった。
 石碑を挟み国道の反対側の崖に、幅1mに満たない草生す路がV字に分岐している。

国道19号 是より南 木曽路

是より木曽路碑

石碑裏側

国道をV字に草生す路を登る:写真手前が江戸

木曽路はすべて山の中
 “是より南 木曽路”碑より、「木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり……」と島崎藤村の《夜明け前》で有名になった《木曽十一宿》に入って行く。
 国道から分かれると別世界、江戸時代の中山道は確あるべきと思わせる路だ。路傍には《厄除馬頭観音》や祠にいれられた《馬頭観音》や《道祖神》などが見られる。

厄除け馬頭観音

祠にいれられた馬頭観音
桜沢茶屋本陣跡
 街道時代に浸れる路は10分ほどで再び国道に合流し、数分で桜沢の《茶屋本陣》跡に出る。《明治天皇櫻澤御小休所》碑が立っている。

 大型トラックが唸りを上げて引っ切り無しに行き交う国道は、歩道があってもうんざりだ。わずかに残った旧道沿いには古民家も見られる。

桜沢茶屋本陣跡

トラックが行き交う国道19号

わずかに残る旧道沿いの古民家

若神子の一里塚跡
若神子の一里塚
 茶屋本陣から国道19号を20分ほど行くと《若神子の一里塚》が見える。明治43年(1910) 鉄道敷設時に1基が取り壊され、現存の1基も国道19号線の拡幅工事によって切り崩されて、直径5m、高さ1mほどを残すのみとなった。

若神子集落
 一里塚跡の先で国道と分かれ若神子集落に入る。古民家や水場も何ヶ所か見られる。
若神子:わかみこ

若神子集落

水場
 若神子集落の外れに諏訪神社があり曲がり角には庚申塔や馬頭観音などが残っている。

 国道に出る手前で中山道は右に分岐し草生す路となり、路端には石碑群も見られる。
 

庚申塔、馬頭観音

中山道は右の草生す路

道端に石碑群

JY中央線、国道19号、中山道
  中山道は、国道及びJR中央線と並行し一段高い所の道となっている。諏訪神社前から20分ほどで国道に下ると前方に贄川駅が見える。駅の少し先に贄川宿の大きな看板が立っている。その先で左折し跨線橋を渡ると贄川宿である。

     《贄川宿〜奈良井宿》へ続く

贄川駅ホーム全景

贄川宿
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