小 田 井 宿 |
2012/10/04(木) |
八 幡 宿 |
||
岩村田宿 | 1里11丁=5.1Km | 塩名田宿 |
善光寺道、右中央に道標 |
岩村田宿 岩村田宿は宿場であると共に《内藤美濃守1万5千石》の城下町でもあった。本陣、脇本陣はなく旅籠屋が8軒のみの小さな宿場であった。高崎宿と同様、旅人は堅苦しい城下町での宿泊を嫌ったためである。 善光寺道 住吉神社の少し先で善光寺道が右に分岐する。復元した“従是善光寺道”の道標が立っている。元の道標は交通事故で破損、修復して住吉神社に移設されている。岩村田宿の入口はこの辺りだそうだ。 |
|
龍雲寺 住吉神社から10分ほど行くと龍雲寺、武田信玄の遺骨が出土した寺である。上洛途上亡くなった信玄の死は隠され、遺骨はここに埋葬されたと言い伝えられてきた。昭和6年、玉垣修理の際骨壺が発見され、同時に発掘された遺品などの詳しい調査の結果、ほぼ《信玄公》の遺骨に間違いないと確認されたそうだ。遺骨を納めた《信玄霊廟》が建立され、骨壺が発掘された場所には五輪塔が築かれている。 |
龍雲寺 |
|
龍雲寺本堂 |
五輪塔 |
山門 |
西念寺 |
西念寺 龍雲寺の少し先、商店街中央付近を右に入ると、同じく信玄公ゆかりの西念寺がある。ここも信玄公開基と伝わっている。当時は広大な領地をもった大寺だったが今、敷地は大幅に縮小されたとのこと。それでも残っている本堂は、圧倒されるほどの見事さだ。 街道に戻り、宿場の中心地である“岩村田本町”交差点を行くが、街道の面影はまるでない。中山道は、次の“相生町”交差点を右折する。そのまま直進する道は、《佐久甲州街道》 と呼ばれ甲州に続いている。 |
|
西念寺本堂 |
“岩村田本町”交差点 |
|
御嶽神社 “相生町”交差点を直角に右折して小海線の踏切を渡る。左手に御嶽神社があり、数基の石碑が残っている。 |
御嶽神社 |
|
相生の松 |
相生の松 踏切を渡ってしばらく行くと《相生の松》がある。皇女和宮が野点をした由緒ある場所である。和宮は縁起をかついで中山道で江戸に向かうことにしたあが《相生》の名は縁起が良いと野点を行ったそうだ。 小田井宿祭りはこれにちなみ毎年8月16日、和宮ご降嫁の際、授かった拝領人形を籠に乗せ行列するものだそうだ。 |
|
相生の松を後に両脇がリンゴ園と田圃ののどかな田園地帯を行く。“塩名田
3.6km”道標の先で濁川を渡る。この付近に一里塚があったらしいがその痕跡は何もない。 濁川のすぐ先に《荘山稲荷神社》が見える。ここには、芭蕉句碑がある。 野を横に 馬引きむけよ 郭公 芭蕉 引き続き、田園地帯を行き古民家が点在する平塚集落を抜け、所々に野仏や石塔が目につく道となる。 荘山 : かがりやま 郭公 : ほととぎす |
田園地帯を行く |
|
荘山稲荷神社 |
平塚集落 |
|
諏訪神社 |
塚原集落 百万遍供養塔を左に見てしばらくすると諏訪神社、その先に塚原の集落、古民家はみあたらず現代的な家が立ち並ぶ。集落を抜けると再び、のどかな田園風景となり、ところどこに庚申塔や石碑群が目につく。 |
|
塚原集落 |
石塔群 |
|
妙楽寺 下塚原バス停の先に妙楽寺がある。若い修行僧の学問寺であったという。貞観八年(866)“信濃の国に五ヶ寺を定額に列する”と日本国史に明記されてある信濃五山の一寺に当たる名刹だそうだ。 |
妙楽寺 |
|
下塚原バス停留所 |
妙楽寺から緩やかに下って用水を渡ると下塚原のバス停がある。瓦屋根のレトロな待合所だ。中にベタベタと貼られた古風な広告が良くマッチしている。 |
|
駒形神社 バス停の先にこんもりとした駒形神社の森が見える。神社の本殿は室町時代に再建されたもので国指定の重要文化財となっている。 駒形神社の周辺は、古来から馬の産地で、本殿再建当時も馬商人が跋扈していたそうだ。。 駒形神社を後にし急な坂を下って行くと塩名田の交差点に出る。角に“中山道塩名田宿”と書かれた標柱が立っている。 《塩名田宿〜八幡宿》 へ続く |
駒形神社 |
|
home |