岩 村 田 宿 |
2012/10/04(木) |
望 月 宿 |
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塩名田宿 | 27丁=2.9Km | 八幡宿 |
塩名田交差点(5差路) |
塩名田宿 塩名田宿は江戸から数えて23番目の宿場宿である。暴れ川であった千曲川の東岸に位置し川止めで旅籠は潤ったが、川の氾濫は宿場の大きな負担ともなった。それゆえ本陣1、脇本陣1、旅籠7軒程度の小さな宿場であった。 駒形神社を経て、5差路の塩名田交差点を渡ると塩名田宿に入る。屋号看板をぶら下げた古い建物が目立つ。 |
塩名田宿の古民家 |
大黒屋 |
しばらく行くと車輪付きの大砲などを店先に並べた骨董屋というより古物商がある。“古き良き時代へようこそ 中仙堂 長野県/環境庁”と、道標風の標柱に書かれている。中山道歩きでよく見かける道標に似せた看板だ。 | 古物商《》 |
問屋本陣 |
問屋本陣 切妻・大屋根の建物は《問屋・本陣跡》で、宝暦六年(1766)に再建後、改装しながら、現在も住居として使われているとのこと。 本陣跡の隣が《高札場跡》、一部復元し掲示板として使われている。 本陣跡の斜め向いにある《佐藤家住宅》は、塩名田宿で最も古式の町屋の様式を伝える建物なのだそうだ。 その隣の白壁・土蔵造りの《蔵元》は、復元風に建替えられたのだろう。さらにその先の《えび屋豆腐店》は、江戸時代末期に建てられたものだそうだ。 |
佐藤家住宅 |
蔵元とえび屋豆腐店 |
千曲川に架かる中津橋の手前で旧国道(現県道)から河原に向けて右に下る。さらに路地を下って街道に出る。下った先も多少かつての風情を残している。 中津橋 中津橋で対岸に渡る。橋の袂に千曲川に架けられた橋の変遷が記されている。今は頑丈な橋で簡単に渡ってしまうが、江戸時代は洪水で橋が流されることが多く、塩名田宿や対岸の御馬寄村の人々は、大変な苦労をして主要街道である中山道千曲川往還の確保を行っていたそうだ。 御馬寄 : みまよせ |
路地を下って旧中山道へ |
河原近くの旧中山道 |
中津橋 |
勝手神社のケヤキ |
勝手神社のケヤキ 千曲川の対岸は御馬寄集落、古代に馬を集める牧場があったことからの地名だという。橋を渡って100mほど行き左折、その200mほど先に御馬寄の勝手神社がある。社殿に向かって右に佐久市指定の天然記念物の大欅が立っている。 |
街道に戻り10分ほど行くと芭蕉句碑がある。 涼しさや直ぐに野松の枝の形(なり) 芭蕉翁 句碑のすぐ先には御馬寄一里塚があるが案内の標柱が無ければ気がつかないだろう。 |
御馬寄一里塚 |
門のある古民家 |
一里塚を後にゆるい上り坂の一本道、立派な門のある古民家や石碑群が点在する下原集落を通り抜ける。 |
立派な塀のある古民家 |
下原集落を行く |
八幡神社 門のある家から10分余りで八幡神社に着く。標識には《高良社》とも書かれている。この祭神の神号である《高良玉垂命》にちなんで旧本殿が《高良社》と呼ばれたからだという。ここは、鎌倉時代後期に編纂された《吾妻鏡》にも《佐久八幡》として登場する由緒ある神社である。 見事な《隨神門》の奥に門構えの立派な《瑞籬門》がある。この門は、随神門より130年以上昔のものだ。八幡神社の辺りが八幡宿の入口であった。 八幡 : やわた 瑞籬門 : ずいがきもん 《八幡宿〜望月宿》 へ続く |
隨神門 |
瑞籬門 |
高良社本殿 |
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