宿
中山道遊山旅


2012/05/24(木)





宿
小田井宿 1里7丁=4.7Km 岩村田宿




御嶽信仰石碑

小田井宿入口標柱
 しなの鉄道 御代田駅から街道を南西に20分ほど行くと十字路の角に“小田井宿跡入口”の標柱が立っている。傍らには道祖神が祀られ筆塚も立っている。道路を挟んだ向かい側の角には“御嶽山座主大権現”と書かれた御嶽信仰の石碑が立っている。
 小田井宿は天正年間(1573-92)に誕生し、天保十四年(1843)には本陣、脇本陣各1軒、旅籠5軒で宿内人口319人の鄙びた宿場だが、隣の追分宿が飯盛女を多数置くなど歓楽地要素が強く、大名夫人や姫君などは小田井宿に泊まることが多かった。このため《姫の宿》とも呼ばれた宿場であった。
宝珠院
  標柱から5分ほど行くと左手奥に永正年間(1504-20)創建の宝珠院があり、境内に御代田町指定の天然記念物 樹齢300年の枝垂桜とアカマツがあり鐘楼は茅葺、門前には大きな馬頭観音が立つ風情あるお寺である。


宝珠院 : ほうじゅいん

宝珠院境内のアカマツ

宝珠院山門

茅葺の鐘楼

馬頭観音

小田井宿本陣跡
  街道に戻ると立派な門構えが見える。当時本陣を務めていた安川家で、隣には同じく安川家が務めていた連子格子が特徴の建物 《上の問屋》 跡も残っている。少し先の向かい側には《下の問屋》跡も残っている。

上の問屋跡

下の問屋
  《下の問屋》の少し先に昔は旅籠屋だったと思われる民家がある。この少し先が宿外れ。宿場を抜けると《あめのこばやし》の看板を掛けた小林製菓がある。

  飴屋の先には馬頭観音や道祖神などが祀られている。街道に置かれていたものをまとめたのだろう。この少し先で国道と合流する。

旅籠跡

飴屋小林

野仏群

皎月原
皎月原
 野仏の少し先で県道に合流する辺りに皎月原と呼ばれる草原に出る。

 用明天皇元年(586)、皎月と言う官女が流されてきた。官女は時々小田井の原へ来て輪乗りをしていたのだが、その跡は草が生えなかったので、そこを《皎月の輪》と呼ぶようになったと伝えられている。

皎月原 : こうげつはら
鵜縄沢の一里塚
 皎月原から30分ほど退屈な国道歩きとなる。国道から左に分岐し少し行くと《鵜縄沢の一里塚》がある。中山道開通当初の慶長年間(1599-1614)に設置されたものである。その後、道路改修によって街道から外れたものであり、先の《御代田の一里塚》同様、中山道の道筋が江戸時代になって大きく変わったことを示すものである。

鵜縄沢 : うなわざわ

鵜縄沢の一里塚

住吉神社
住吉神社
 街道に戻り、上信越自動車道の上を越えてしばらく行くと住吉神社がある。大きなタブの木が御神木だが裏側は黒焦げの空洞、雷にやられたのだろう。根元に“天明八甲年正月”と刻まれた双体道祖神がある。また、境内には浅間の焼け石(溶岩)で造られた常夜灯も残っている。

  住吉神社の少し先で国道の向かい側に善光寺道の道標が残っている。道標には、“善光寺道 小諸二里 享保二十乙”と彫られている。小諸で北国街道(善光寺道)に合流する。

    《岩村田宿〜塩名田宿》 へ続く

御神木のタブの木

熔岩常夜燈

石仏、石碑群
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