中山道遊山旅


2012/05/24(木)
軽井沢宿 1里5丁=4.4Km 沓掛宿




碓氷峠からの路(右)と旧道が合流
 碓氷峠を越えてから一月半が過ぎた、軽井沢宿から先は新幹線を使わねばならなず見所も少ないので、つい延ばし延ばしになってしまった。

 碓氷峠を越え二手橋を渡ると軽井沢宿である。峠越えの旅人で大変賑わっていたが宿駅制度が廃止され、国道が開通すると旅人の往来は激減し宿場は急速に衰退した。その後、別荘地として開発されたため往時の面影はすっかり影をひそめてしまった。
  別荘地軽井沢の恩人イギリス人宣教師 ショー氏の胸像を右に、天保十四年(1843)に建てられた芭蕉の句碑(馬をさえながむる雪のあした哉 芭蕉翁)を左に見てしばらく行くと旅館《つるや》がある。江戸時代には茶屋であったが別荘地になると旅館に変わり、島崎藤村、 芥川龍之介、 志賀直哉など多くの文豪らに愛されたそうだ。
ショー氏の胸像

芭蕉句碑

旅館《つるや》

旧軽井沢銀座
  つるや旅館の辺りから宿屋街となるが今は《旧軽井沢銀座》と呼ばれている。宿場とは言えまったくといっていいほど街道の面影はない。本陣や旅籠の気配すら感じることができない。
 軽井沢駅に通じる道と交差する辺りが宿外れ、この先は両側が木立に囲まれる長閑な道路に変わる。

 離山登山道入口を右に見てしばらくすると洒落た建物がある。ホテル《ロンギングハウス》だ。背後に離山が聳えている。皇女和宮が通行する際、離れるは縁起が悪いということで《子持山》と呼ばれたそうだ。

 ホテルの少し先には、この付近にあったと思われる庚申塔や地蔵などがまとめて置かれている。

木立に囲まれた道路

ホテル《ロンギングハウス》

庚申塔など石塔群

湯川を渡る、正面に浅間山
 庚申塔の少し先でしなの鉄道にぶつかる。しばらく平行に歩き踏切で反対側に渡る。街道の正面に浅間山が見える。この辺りから見る景色は、昔も今もほとんど変わっていないという。湯川を渡り再び踏切を渡る前に左折し宮之前一里塚に立ち寄る。
  宮之前一里塚は日本橋から三十九番目の一里塚で中軽井沢駅の裏手にある。江戸時代初期にはこの一里塚の前を通っていた街道だが、ルートが変わり一里塚は取り残されたとのこと。
宮之前一里塚跡

長倉神社
  一里塚から中山道に戻りしなの鉄道の踏切を渡り返すとすぐ国道に出る。国道を横切った先に長倉神社がある。創建は天長年間(824-834)頃であり、古くから地元の信仰を集めていたそうだ。この神社の森は、樹木の種類70余種が茂っており、なかでもブナノキ、アズサノキなどの巨樹は貴重なものだそうだ。
 また、神社の奥には橋幸夫のヒット曲で知られた《沓掛時次郎》の碑が立っている。股旅ものなど多くの脚本を残した長谷川伸の筆を刻んだ高さ3mの自然石の碑である。

   “千両万両枉(ま)げない意地も 
      人情搦めば弱くなる
     浅間三筋の煙の下で 男 沓掛時次郎”


         以後、《沓掛宿〜追分宿》

沓掛時次郎碑
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