宿
中山道遊山旅


2012/04/08




宿
坂本宿 2里半16丁27間=12Km 軽井沢宿

 坂本宿は、江戸初期に近隣住民を移住させて出来た宿場である。厳しい取り調べの碓氷関所を抜け、中山道一の難所である碓氷峠を控え休憩や宿泊する旅人で大いに賑わっていたそうだ。

 関所から20分ほどで坂本宿下の木戸跡に着く。正面にこれから越えて行く刎石山(はねいしやま)が見え、碓氷峠はその奥にある。木戸は明け六ツ(午前6時)から暮れ六ツ(午後6時)まで開いていたが、実際は顔が識別できるか否かで判断していたようだ。木戸を過ぎると宿場の風情を残す建物が目立つようになる。

下の木戸、正面に刎石山

宿場の雰囲気を残す建物

永井脇本陣跡
 国道を挟んで宿場跡が江戸時代の姿を色濃く残している。宿場中央には用水が通っていて、その左右に宿場が作られていたという。用水は国道下に埋められたが、《浮世絵 木曽街道六十九次 坂本宿》から当時の様子がうかがい知れる。

 都市計画によって新たにできた小ぎれいな宿場で泊り客も多く他宿がうらやむ賑わいだったそうだが、交通機関の整備で行き交う人も激減、今ではすっかり衰退してしまったようだ。

旅籠 中沢や跡

旅籠 かぎや跡

佐藤本陣跡

上の木戸

芭蕉句碑

八幡宮
 上の木戸を出るとすぐに芭蕉句碑が置かれている。寛政二年(1790)に建立され刎石山々頂に置かれたものを明治年間に廃道になったためここに移されたそうだ。刎石(安山石)に彫られた句は《ひとつ脱て うしろに負ひぬ 衣かへ》、汗をかきかき峠越えた芭蕉の姿が目に浮かぶ。

 句碑のすぐ先の赤い鳥居は八幡宮、御由緒略記に「伝承によれば景行天皇四十年十月日本武尊の勧請と伝う」とある。景行天皇四十年は、日本武尊が草薙剣を受け取った年。西暦110年、1900年も昔のことだ。
 八幡宮を出て数分、巨大な給水塔のところで国道は大きく右カーブする。国道と分かれ給水塔の左の小道に入る。少し行くと、アブト式時代の旧信越本線跡を利用した遊歩道に出るもその先の中山道はよく分からない。適当に進んで国道に出るとあずまやの碓氷小屋(旧碓氷峠登山口バス停)がある。その左に碓氷峠への登り道がある。いよいよ中山道屈指の難所へのスタートである。
アプトの道

碓氷峠登山口

碓氷峠登り口の立札
 日本橋からここまではすべて舗装された道だがここからは山路。案内板の傍らに《安政遠足(とおあし)ゴールへ8.3km》の表示、その横には《熊出没注意》の看板もある。

 国道から分かれるや否やいきなり荒れた登山路の急登となる。植林帯の路は薄暗く先が思いやられるが所々《安政遠足》、《侍マラソン》の道標があり迷う不安はない。

 30分ほどで柱状節理、溶岩が固結するとき四角や六角の柱状に割れたものだ。大日尊や馬頭観音などの石塔の周りには溶岩節理の板状の石がゴロゴロしている。

いきなり荒れた路の急登

柱状節理

侍マラソンとも云われる

石塔群

刎石坂

風穴
 刎石坂は溶岩節理の岩石がゴロゴロしている急坂、峠路の中でも一番の難所だ。刎石坂を登りきると坂本宿が眼下に一望できる《覗》に着く。

 覗からさきは傾斜も緩みホッとする。馬頭観音の先の風穴、溶岩が冷めて固まった裂け目から湿り気を帯びたかすかに暖かな風が出ている。

 刎石茶屋(四軒茶屋)に水が出ないのを憐み、弘法大師が掘り当てたという伝説の井戸が《弘法の井戸》、茶屋本陣の他に三軒の茶屋があったそうだ。今も石垣や墓に名残をとどめている。

 千年以上も前に設けられた碓氷坂関所跡に建つ休憩舎のあずまやを経て堀切跡に出る。

四軒茶屋跡石垣

覗き:坂本宿が見下ろせる

弘法の井戸

堀切付近

北向馬頭観音

乗り捨てられた車

山中茶屋跡
 堀切の少し先に《南向馬頭観音》さらにその先に《北向馬頭観音》が置かれている。この先は上り坂となり途中に《一里塚跡》が残っている。
 再び急な上り坂《座頭ころがし》の案内板が立っている。湿った赤土で滑りやすく、岩や小石がごろごろした旅人泣かせの路だったようだ。今も、落ち葉が厚く積もり滑りやすく歩き難い。登りきった辺りに車が乗り捨てある。この山路をどうやって運んできたのだろう?。
 しばらく行くと《栗が原》、明治天皇巡幸道路と中山道の分岐点、明治8年群馬県最初の《見回方屯所》があった所だ。これが交番のはじまりとのこと。
 入道くぼの標識を見るとやや広い道路となりやがて《山中茶屋跡》が見えてくる。寛文二年(1662)には、13軒の立場茶屋があり明治の頃小学校もできたそうだ。茶屋の少し先から《山中坂》となる。排水溝が設けられているが雨に抉られたひどい道だ。

座頭ころがし

栗が原付近

山中坂
 《陣場が原》で道が分かれる。左が本来の中山道。右は《皇女和宮》が降嫁される時に開かれ《安政遠足》にも使われた道だ。中部北陸自然歩道にもなっている安政遠足の道を行く。ゆるやかな上り道をしばらく行くと一面雪に覆われている。融けて凍っているのではなはだ歩き難い。登山靴にすべきだったとちょっと後悔する。

 中山道と合流すると熊野神社まで300mの道標。アスファルト道と合流し熊野神社へ到着する。昨年1月、留夫山に登った時以来2度目の訪問だ。

陣場が原:左が本来の中山道、右は安政遠足の道

一面凍った融雪の道

碓氷峠頂上
 峠の頂上に《元祖力餅》の茶店 しげの屋。県境が店を2分している。道路を挟み向かい側は、安政遠足のゴールである熊野神社。石段の真ん中が県境だ。石段の登り口両側に室町時代中期の作と伝えられる狛犬が置かれている。向かって右の群馬県側に《阿》、左の長野県側に《吽》の素朴で親しみやすい狛犬が置かれている。

 石段を上り本殿にお参りし、樹齢800年の御神木《熊野皇大神社のシナノキ》に対面する。

石段の中央が県境

御神木:シナノキ

狛犬:上《阿》、下《吽》

見晴台より妙義連峰

クマ生息地の看板

別荘地帯
 中山道は峠から車道に沿って軽井沢に向かっていて、一部歩ける道も残っているがほとんど廃道状態で危険であるとのこと。車道とは別に遊覧歩道で軽井沢に下る道が整備されているのでこれを使うことにする。遊覧歩道入口の少し先にある見晴台に立ち寄ってから、《クマ生息地域の看板》を横目に軽井沢に向かう。

 小さな沢や車道を横切りながら別荘地を抜け峠から1時間ほどで軽井沢宿(旧軽井沢銀座)に着く。

碓氷峠遊覧歩道入口:旧軽井沢4q

車道を陸橋で横切る

軽井沢宿:旧軽井沢銀座
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