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日本百名城

No.99 中城城(なかぐすくじょう)
別 名
城地種類 山城
築城年代 14世紀後半頃
築城者 先中城按司、護佐丸
主要城主 先中城按司、護佐丸
文化財・史跡 国指定史跡 
 天守の現況
関連施設
所在地(訪城日) 沖縄県中城村(2018/10/10)



中城城郭配置図
 中城城は、標高160mの丘陵上にあり、東崖縁を天然の要害としている。城は、連郭式の山城で、6つの郭で構成されている。城壁は、主に琉球石灰石の切石で積まれている。14世紀後半頃から数世代にわたり主な郭を築き上げ、1440年に座喜味城から移ってきた護佐丸によって北の郭、三の郭が増築され、現在に見られるグスクの形が完成した。
 沖縄県内に300余りあるグスク(城)の中で、最も多くの遺構がオリジナルのまま残されているとのこと。


三の郭の城壁と裏門


三の郭の城壁
  三の郭は新城とも呼ばれ、石積み技法の最も進んだあいかた積み(亀甲乱れ積み)によって築かれている。


東に向かって造られた裏門
 ペリー探検隊一行がエジプト式と評した精巧なアーチが特徴。県内にあるオリジナルのアーチ門としては最も大きく、550年以上経過した古い門である。


三の郭への石段


北の郭
  護佐丸が井戸を取り込み増築した郭。西の郭の2つの井戸と併せ、城内に水を確保していることもこの城の特徴である。


二の廓から一の郭への門


二の郭
  二の郭も曲線を多用した布積みの城壁に囲まれています。この城壁は二段に作られていて、人が容易に通ることが可能になっていることから、城本来の守ると言う機能も優れていたと思われます。ぽつんと目立つ碑は、日露戦争戦没者の忠魂碑。


二の郭城壁上より一の郭を望む


修復工事中の一の郭
 一の郭は、中城城で最も広く、最も標高が高い場所に位置し、正殿があった。その後、間切番所が建てられ、廃藩置県後は中城村役場に使用されていたが、沖縄戦で焼失した。
 間切番所:琉球王府の農村支配機構(現在の村役所)


一の郭:奥の門の先は二の郭


拝所(御當蔵火神):通称「首里遙拝所」

拝所(雨乞イノ御嶽)
南の郭:全体が聖域、複数の拝所が集中する古い城郭の一つ。


南の郭より西の郭への門


正門
  西の郭の西の方角へ向けて造られた正門(櫓門)。門を挟むように両側に石垣がせり出し、ハンダ道(公道)に向け狭間が造られている。


正門を振り返る


カンジャーガマ(鍛冶屋跡)
 鍛冶を行っていたところとされているが、城のためか集落のためか定かではなく、一説によれば護佐丸が阿麻和利に備えるために武具を造っていたとも伝えられているそうだ。


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