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日本百名城

No.98 今帰仁城城(なきじんじょう)
別 名 北山城、今帰仁グスク
城地種類 山城
築城年代 13世紀末ころ
築城者 不明
主要城主 怕尼芝(はにじ)、珉(みん)、攀安知(はんあんち)
文化財・史跡 国指定史跡 
 天守の現況
関連施設 今帰仁村歴史文化センター、今帰仁村グスク交流センター
所在地(訪城日) 沖縄県今帰仁村(2018/10/09)

今帰仁城案内図

今帰仁城平面図
  今帰仁城は沖縄本島北部の標高100mのほぼ独立した丘上にある。1609年、薩摩軍に攻められ城は炎上、廃城となった。


①外郭
高さ2m前後の石垣が延々数百m蛇行して外郭を囲っている。


①外郭から望む③大隅の石垣
③大隈は戦時に供え馬を養い、兵馬を訓練した場所。最も高い石垣が築かれた堅牢な城郭。


③大隅の石垣
「百曲り」と称される大隈の石垣は、大波がうねるような屏風状に造られており、死角がない。


②平郎門:今帰仁城址入口


②平郎門(入城後振り返って)
 現在の門は昭和37年(1962)の琉球政府時代に修復したもの。平郎門の名称は、1713年に編集された「琉球国由来記」に「北山王者、本門、平郎門ヲ守護ス」と記載され登場する。


②平郎門から⑥大庭に上る石段

⑤旧道
 平郎門から直線的に伸びる石階段は1960年代に整備。本来の登城道は、平郎門から城内へ向かって石階段の右手側にある。  平郎門から入って右手、曲がりくねった大きな岩盤の谷間を利用し、防衛機能上から幅は狭く急な上り坂となっている。


⑧主郭
 ⑥大庭の東にある一段高くなった郭が⑧主郭。主郭には多くの礎石が現存し、かつての建築物の形が想像できる。1982年から4年間、発掘調査が行われ、13世紀終り頃から17世紀初め頃まで機能していたことが判明した。火神の祠(画面左)の建築年は不明だが、今帰仁城監守が首里へ引き揚げた1665年頃に設置されたと考えられ、さらに来歴碑が建立され祭祀を行う場として利用されるなど、城内で最も中心的な建物があった場所である。


⑧主郭より見下ろす⑨志慶真門郭の石垣
  志慶真門郭(しじまじょうかく)は城跡南側、主郭より一段低いところにある。ここは今帰仁城の裏門にあたり、戦略上重要な所であったと思われる。城壁は原形に近い形で残っており、築城技術を知る上で重要な場となっているそうだ。


⑦御内原より③大隈とその石垣を見下ろす


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