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日本百名城

No.42 掛川城(かけがわじょう)
別 名 雲霧城、松尾城
城地種類 平山城
築城年代 永正九年(1512)ころ、天正十八年(1590)
築城者 朝比奈泰熙・泰能、山内一豊 
主要城主 朝比奈氏、山内氏、松平氏、井伊氏、太田氏、他
文化財・史跡 御殿:重要文化財、太鼓櫓:市指定文化財
 天守の現況 望楼型、三重四階、木造(復元)
関連施設 掛川古城、二の丸美術館、二の丸茶室、竹の丸
所在地(訪城日) 静岡県掛川市(2017/10/27)

掛川城鳥観図
  掛川城は戦国大名今川氏の重臣・朝比奈氏の居城であった。今川氏滅亡後、徳川家康の家臣が入城したが、家康が関東に移ると、豊臣秀吉配下の山内一豊が入封した。一豊はこの城を中世の城から三重の天守を持つ近世城郭へと大改修した。 


緑橋より天守と太鼓櫓
逆川に架かる「緑橋」から見た掛川城天守(左)と太鼓櫓(手前)


大手門
平成七年(1995)に復元された櫓門。実際は現在地より南50mの位置にあった。


天守と城門


掛川城御殿と天守閣
 御殿は、城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用された。書院造で畳を敷きつめた多くの室が連なり、各室は襖によって仕切られていた。現存する御殿は、嘉永七年(1854)大地震で倒壊したため、安政二年(1855)から文久元年(1861)にかけて再建されたものである。


次の間
城主と謁見できる身分の高い者だけが通された部屋である。


御殿から見上げる天守閣


天守入口冠木門
冠木門とは、二本の柱の上部に冠木を貫き渡した門。


霧吹き井戸
 西から徳川家康、東から武田信玄に攻められた駿河の今川氏真は、重臣朝比奈泰朝の掛川城へ逃げ込んだ。この城を落とそうと家康が攻撃を仕掛けた際、井戸から立ちこめた霧が城をすっぽりと覆い隠し、徳川軍は攻撃できなくなったそうだ。以来、掛川城は「雲霧城」とも呼ばれるようになった。


天守閣内
本格木造復元天守の先駆けとなり「東海の名城」と謳われる掛川城。


天守からの展望
 標高57mの丘陵上、高さ19mの天守閣からの展望は、手前に現存御殿・太鼓櫓、市街地の後ろに粟が岳(527m)が望める。


太鼓櫓

報刻の大太鼓
 掛川城の太鼓櫓は、城下に時を知らせるための大太鼓を納めてあった建物。嘉永七年(1854)の大地震以後に建てられた櫓で、何度かの移転の末、昭和30年(1955)に現在の位置に改築の上、移築された。当時使われた大太鼓は二の丸御殿の広間に展示されている。


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