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日本百名城

No.41 駿府城(すんぷじょう)
別 名  ―
城地種類 平城
築城年代 天正十三年(1585)、慶長十二年(1607)
築城者 徳川家康
主要城主 徳川氏 
文化財・史跡
 天守の現況
関連施設 駿府博物館、静岡市文化財資料館
所在地(訪城日) 静岡県静岡市(2017/06/24)

案内図
 駿府城は、同じ位置に3回築かれている。今川氏居城の駿府城は、永禄十一年(1568)に武田信玄の駿河侵攻及び、天正十年(1582)徳川家康の侵攻により灰燼と帰す。駿河国を手に入れた家康は、今川館の地に築城し、天正十七年(1589)に浜松城から居城を駿府城に移した。慶長十二年(1607)将軍職を秀忠に譲り、駿府に移り住んだ徳川家康は、隠居城として城の大修築を行った。寛永十二年(1635)に焼失した大天守は再建されず、明治時代になると、本丸堀は埋められ、三ノ丸は官庁や学校などの公共用地となった。


二ノ丸堀と巽櫓、奥に東御門橋
  巽櫓は、駿府城二ノ丸の南東角に設けられた二層三階の隅櫓、十二支の巽の方角に位置し「巽櫓」と呼ばれた。櫓は戦闘時の拠点や見張り、敵への攻撃、武器の保管などの役目があった。


東御門橋と東御門高麗門
 東御門は、駿府城二ノ丸堀(中堀)に架かる東御門橋と高麗門、櫓門、南・西の多門櫓で構成される桝形門である。


東御門櫓門


二ノ丸水路
 本丸堀と二ノ丸堀をつなぐ水路。本丸堀の水位を保つ役目も果たしている。


本丸堀
 


天守台発掘調査
 駿府城は明治に入り廃城となり、明治29年(1896)には天守台も崩された。今回の発掘調査は、天守台石垣の残存状況や大きさなどの正確なデータを得るため4年間にわたる調査をする。


本丸跡の徳川家康像


坤(ひつじさる)櫓
二ノ丸南西にある隅櫓。二重三階で七間四方の櫓である。平成26年に復元された。


二の丸橋
二ノ丸へ入る正面出入り口の二の丸大手門へ渡る二ノ丸堀に架かる橋。


二の丸橋より二ノ丸堀の石垣

二の丸橋より二ノ丸堀の石垣


二ノ丸堀に架かる北門橋


北門橋

西門橋


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