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日本百名城

No.34 七尾城(ななおじょう)
別 名  ―
城地種類 山城
築城年代 戦国時代前期(1504~28)
築城者 能登畠山氏
主要城主 能登畠山氏
文化財・史跡 国指定史跡 
 天守の現況 天守台のみ残る
関連施設 七尾城史資料館、懐古館(古民家:国登録文化財)
所在地(訪城日) 石川県七尾市(2017/11/16)

七尾城跡案内図
▼この城跡は、室町時代能登国の守護であった畠山氏が、歴代居城としたところである。石動山脈の北端、七尾湾が一望できる標高約300mの山頂部を削平して本丸を置き、これを中心として急峻複雑な地形を巧みに利用し、東方に長屋敷、西方及び北方にかけて西の丸、二の丸、三の丸等を構えた規模雄大な山城である。 ▼その後、信長家臣・前田利家入城後、小丸山城を築き七尾城を廃城にした。小丸山城に移ったため、現在の七尾市街地も小丸山付近にある。幸いにも自然災害や開発等の厄にもあわず、各尾根上の郭跡や石垣はよく保存され、わが国中世における山岳城郭史上優れた遺跡として昭和九年(1934)国の史跡に指定された。


調度丸
 弓矢などの武具(調度)をととのえた場所。調度丸の中央付近にある石積みは土塀基礎と考えられているが、なぜ一直線上に並ばせたのかは不明とのこと。


調度丸と桜馬場の石垣
 この曲輪は、東西45m・南北25mあり軍馬の調練を行った馬場と言われる。北側の石垣は五段に組まれ、七尾城跡でも最大規模を誇る。


桜馬場の石垣


本丸へ続く道の石垣
本丸の石垣は、戦国期の山城に多い「野面積み」の工法を用い北側は三段に組まれている。 


本丸跡:画面右に「七尾城址」碑
  本丸は、七尾城跡の中心となる曲輪。標高305m、東西50mx南北40m。二の丸までの一連の曲輪とともに主郭を構成する。本丸に隣接する曲輪である長屋敷との間には大堀切があり、独立性の高い曲輪となっている。本丸跡には大きな城址碑と城山神社がある。


本丸の城山神社
  本丸跡の少し高くなったところにある城山神社は、昭和17年(1942)に開催された「第1回城山祭り」の際に建立された。鳥居は昭和48年(1973)に建てられた。この高台は櫓台とされており、当時は西南東の三方向に向けた大型の櫓が築かれいたと推測されている。


本丸跡からの展望:七尾市街と七尾湾


九尺石
 温井屋敷跡の西側にある内枡形虎口の石垣には、横幅が九尺(約2.7m)もある巨石がり、石の大きさにちなんで「九尺石」の名がついた。


二の丸から三の丸へ
 二の曲輪は、本丸に次ぐ第二の拠点であり、尾根の分岐点に築かれている。三の曲輪は、曲輪の中で最大規模を誇る。南側の二の丸とは深い「堀切」で仕切られ、本丸を中心とした主郭とは別の曲輪群を構成する。


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