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日本百名城

No.33 高岡城(たかおかじょう)
別 名  ―
城地種類 平城
築城年代 慶長十四年(1609)
築城者 前田利長 
主要城主 前田氏 
文化財・史跡 国指定史跡 
 天守の現況
関連施設 高岡市立博物館
所在地(訪城日) 富山県高岡市(2017/11/16)

高岡古城公園案内図(公式案内図
 元和元年(1615)、徳川幕府の一国一城令により、高岡城は築城わずか6年にして廃城になった。廃城後の高岡城は、建造物は破却となったが堀の埋め立てはされず、近年まで城址としての原型をかなりよく残している。高岡古城公園の面積約21万㎡、のうち水濠が約3割を占める全国でも珍しい水濠公園である。高岡古城公園は、高岡市街地のほぼ中心に位置し、加賀前田家2代当主前田利長が築いた高岡城の城跡を、明治以降公園として開放したものである。


駐春橋
当時この橋は架かっておらず、鍛冶郭より繋がる道が本来の大手道であった。


内堀と土橋東側の石垣
左が二の丸、右が本丸。建物は取り壊されたが、石垣や堀はそのまま残された。


 


土橋西側の石垣


射水神社
  明治七年(1874)、二上村にあった射水神社を本丸跡地へ遷座、同時に高岡城跡を公園に指定するよう上申し、明治八年(1875)「高岡公園」(のち「高岡古城公園」)として指定された。


本丸広場

前田利長公像
現在、本丸跡は敷地の北西側半分が本丸広場で、残り半分は射水神社の境内となる。奥に前田利長像が置かれている。 本丸広場の北奥に設置されている。


本丸の井戸
   射水神社の背後にある。本丸と小竹藪との間の濠の幅は98mあり、当時の種子島銃の有効殺傷距離よりはるかに遠く、 安心して水汲みができたと考えられる。


民部の井戸
   高岡城には城中の飲水用として数箇所の井戸が掘られていた。その中でも「民部の井戸」は最も大きなものであった。屋形が設けられ、築城当時の姿を偲ばせる貴重な遺構である。


朝陽の滝

古城の滝
朝陽の滝は昭和6年県内で初めて完成した高岡市上下水道事業の通水記念として竣工したもの。 射水神社東側で、内濠に流水するこの滝は、明治の末期に造られたようだが、構築年・名称など詳しい記録はない。現在の滝は1979年、原型を生かして復元し、「古城と滝」と命名した。


朝陽橋
   朝陽橋は明治11年(1878)に架けられ、現在のものは昭和43年(1968)に造られたもの。古図には「橋台石垣」の記録があり有事に備え可動式の橋があった。


朝陽橋より北内濠
  廃城後の高岡城は、建造物は破却となったが堀の埋め立てはされず、近年まで城址としての原型をかなりよく残している。高岡古城公園の面積は約21万㎡、うち水濠が約3割を占める全国でも珍しい水濠公園である。


二の丸南外堀に架かる駐春橋

鍛冶丸と明丸を囲む枡形堀(東外堀)


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