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日本百名城

No.29 松本城(まつもとじょう)
別 名  深志城
城地種類 平城
築城年代 文禄2~3年(1593~94)
築城者 石川数正・康長 
主要城主 石川氏、小笠原氏、戸田(松平)氏、他 
文化財・史跡 国宝(大天守他)、国指定史跡 
 天守の現況 五重六階・木造(現存)
関連施設 松本市立博物館
所在地(訪城日) 長野県松本市(2018/12/01)

松本城案内図
 永正元年(1504)に小笠原氏一族の島立貞永が築いた深志城が松本城の前身とされており、松本城に改称したのは天正10年(1582)のことである。徳川家康の関東移封により、小笠原氏に代わり石川数正が松本城に入り近世城郭の普請と城下町づくりを始め、子の康長に受け継がれ、今日に残る国宝指定の大天守などが完成した。 


東から見た天守群
左から複合した月見櫓(朱塗り欄干付き)・辰巳附櫓・大天守と渡櫓で連結した乾小天守。


黒門(二の門)
 内堀を渡ったところにある高麗門。平成二年(1990)、この門と控塀が造られ、桝形が復元された。この控塀には狭間が切られ、対岸の敵を攻撃できる。これより内は有料スペース。


黒門(一の門):桝形内より
 本丸に入る重要な入口。本丸御殿に通じる格調高い正式な門である。屋根には歴代城主の家紋の付いた軒丸瓦が見られる。


黒門(一の門):本丸側より
 


本丸御殿跡
 主要建物は5棟、部屋数は60余り、建坪は830坪。天守築城と同時に建設された。藩の正政庁で、城主の居館だったが、享保12年(1726)に焼失、その後再建されることはなく、政庁は二の丸御殿に移った。


月見櫓(左手前の櫓):武備のない櫓
 徳川家光の上洛の帰り道、善行寺参詣の途中、松本に寄るとの内意を受け、将軍歓待のため急遽寛永10年(1633)ころから普請にかかったと伝わる。三方に朱塗りの回廊が巡らされている。


天守最上階


天守2階
 


埋橋と埋門
石垣を通路の幅だけ切通して門を設けたもので、石垣に埋れて見えるのでこの名がある。


太鼓門:二の丸側より
 明治初年に破却されたが平成4年(1992)に石垣を復元、平成11年(1999)に門が復元された。北側門台上には太鼓楼があった。


太鼓門:桝形内より


二の丸裏御門橋
 二の丸東部の北端に架かる橋で、その名の通り二の丸御殿の裏門から三の丸に架かっている。平成2年に復元された。


外堀に架かる二の丸裏御門橋


二の丸跡より天守を望む
 天守に続いて建てられたと考えられている。敷地約1,900坪、建坪約600坪、部屋数は約50室。明治9年(1867)に全焼した。 


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