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日本百名城

No.28 小諸城(こもろじょう)
別 名  酔月城、白鶴城
城地種類 平山城(穴城)
築城年代 天文23年(1554)、慶長末期(1614~15)
築城者 武田信玄、仙石秀久
主要城主 武田氏、仙石、徳川、松平他 
文化財・史跡 重要文化財(大手門、三の門) 
 天守の現況 天守台のみ残る
関連施設 徴古館
所在地(訪城日) 長野県小諸市(2018/11/30)

小諸城址案内図
 小諸城の前身は大井氏の鍋蓋城と支城乙女城である。これを侵略した武田信玄により拡張整備された。豊臣政権で城主となった仙石秀久親子により天守や大手門などを建造し近世城郭が完成した。城は千曲川に向かって傾斜した深い浸食谷に突き出た大地を活用している。このため、城下町、三の丸、二の丸、本丸の順に低くなっており「穴城」とも呼ばれている。 


三の門
明和二年(1765)に建てられた二代目の門で、国の重要文化財となっている。


二ノ丸石垣


二の丸跡
 小諸城「二の丸」は、関ヶ原の合戦に向かう徳川秀忠が逗留。真田氏との上田合戦の本陣となった。二の丸からは、北西に西軍の真田昌幸・幸村の居城・上田城方面を見渡す場所である。秀忠軍の3万8千に対し上田城に籠城する真田軍はわずか3千5百ながら秀忠軍を10日間も足止、関ヶ原決戦に間に合わせなかった。


南丸石垣
 二の丸から本丸に向かう道の左側が「南丸」。高さ約3mの石垣は、織豊時代に特徴的な野面石積みであるが、ほぼ垂直に築かれ、敵を寄せ付けない気迫がある。400年あまり、その形を今なお留める石垣は、当時の優れた石垣築造の技であろう。


紅葉谷に架かる黒門橋、正面に本丸の石垣


本丸(右側)と南丸(左側)の間にある空堀(紅葉谷)。黒門橋より
千曲川に面した河岸段丘が深く彫り込まれている。


懐古神社
明治の廃藩置県により小諸城は、本丸跡に「懐古神社」を祀り「懐古園」と名付けられた。


天守台石垣
 本丸は約6mの石垣で囲まれている。特に本丸北西に迫り出し、他の石垣よりひときわ大きな野面石で築かれた天守の石垣(天守台)がそびえる。


本丸石垣、左奥が天守台


天守台跡
 天守台には、三層の天守閣が建造されていたと伝わるが、寛永三年(1626)落雷により焼失、その後は幕府の許しが得られず再建されることはなかった。


天守台石垣上より


大手門正面【重要文化財】
 慶長十七年(1612)仙石秀久が築いた小諸城・大手門。実戦的な城門で、華美な装飾をはぶいた質実剛健な建築は、東日本を代表する大手門建築の一つである。


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