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日本百名城

No.26 松代城(まつしろじょう)
別 名  海津城(かいづじょう)
城地種類 平城
築城年代 永禄三年(1560)ころ
築城者 武田信玄
主要城主 武田氏、織田氏、上杉氏、田丸氏他 
文化財・史跡 国指定史跡 
 天守の現況 天守台(戌亥隅櫓台)のみ残る
関連施設 真田宝物館、真田邸(附新御殿跡)、文武学校他
所在地(訪城日) 長野県長野市(2018/11/30)

松代城案内図
  松代城は武田信玄が築いた海津城が前身である。川中島合戦で著名なこの城には、武田氏滅亡後、織田・上杉・豊臣・徳川の家臣が次々と入城した。元和八年(1622)、真田信之が入封、三代藩主幸道のときに松代城と改称された。海津城時代の縄張りを生かして改修しているので、甲州流築城術の特徴が強く出ている城である。
 明治の廃城後は一部の石垣のみが残る状態だったが、平成になって古文書を元に櫓門や木橋、石垣、土塁などが一気に復元された。


本丸太鼓門と内堀に架かる太鼓門前橋
 小田原城は豊臣秀吉に滅ぼされた小田原北条氏の居城だった。後年、稲葉氏の大改修によって近世城郭に生まれ変わった。


太鼓門(櫓門)
 太鼓門は本丸南側の大手(正面)に位置する門で、本丸に存在した3ヶ所の櫓門の中で最大規模の門である。


本丸跡、奥に北不明門
 御殿が本丸内に建っていたのは江戸中期頃までで、1717年の火災で焼失後には水害も度々発生し、御殿は本丸南西の「花の丸」に移転された。本丸敷地内ほとんどが建物だったようだ。


北不明門:本丸側より


北不明門二ノ門(櫓門):桝形内より
 本丸の裏口(搦手)に位置する門。太鼓門と同様に櫓門と表門(枡形門)の2棟による構成である。絵図資料をもとに、当時の門礎石をそのまま利用して忠実に復元した。櫓門は石垣に渡らずに独立しており、中世的な様相を残した松代城の特徴的な門である。


北不明門一ノ門(高麗門):桝形内より


戌亥隅櫓台
野面積みの石垣、実質的には天守台に相当する。土塁の向こう側は二ノ丸。


戌亥隅櫓台:本丸跡側より


二ノ丸土塁


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