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日本百名城

No.25 甲府城(こうふじょう)
別 名  甲斐府中城、一条小山城、府中城、舞鶴城
城地種類 平山城
築城年代 文禄・慶長年間(1590年代)
築城者 浅野長政・幸長
主要城主 加藤氏、浅野氏、徳川氏、柳沢氏 
文化財・史跡 県指定史跡 
 天守の現況 天守台のみ残る
関連施設 甲府市北口歴史公園「山手御門」
所在地(訪城日) 山梨県甲府市(2018/12/01)

甲府城案内図
 甲府城は、武田氏滅亡後、豊臣政権の重臣浅野長政らによって築城された。関ヶ原後は、再び徳川家の城となり幕末まで存続したが、享保年間の大火により本丸御殿、銅門などを焼失、壮麗な姿は失われた。明治時代になると廃城となり、城内の主な建物は取り壊された。 


三段の石垣(最上部右に天守台):鍛冶曲輪より
 甲府城跡は、山梨県に唯一築城された近世城郭で、400年の歴史を誇る。市街地化によって周辺の景観は大きく変貌したが、築城期の石垣が良好に残る史跡として保護されている。
本丸および周辺の曲輪とその周囲の石垣、一部の水堀がよく残るが、建造物は全て廃城時に取り壊された。近年、門や櫓などが古文書に基づき復元された。
 甲府城の石垣は、文禄から慶長初期(1590~1600年)にかけ、巨石をあまり加工せず、大胆に積み上げた野面積みの石垣である。近世城郭における石垣づくりの歴史の中でも特に古い時期の石垣である。


天守台の下に稲荷曲輪門


稲荷曲輪への石段
 


水溜:甲府城案内図の②
発掘調査によって初めて確認された、水をためていく所。伝い的な用途は不明とのこと。


稲荷曲輪門
 稲荷曲輪と鍛冶曲輪をつなぐ門で、発掘調査により柱の跡などが見つかった。明治初年まで残っていたものを、平成11年(1998)に復元された。


稲荷曲輪の狭間を設けた土塀


稲荷櫓
 鬼門の北東にあることから艮櫓(うしとらやぐら)とも呼ばれた二重櫓。甲府が勤番制になってからは武具庫として使われていた。平成16年(2004)復元。


本丸へのスロープ


本丸の東に位置する天守台
野面積で積まれた豪壮な天守台は、一部が改修されたものの当時の様子をよく残している。


天守台上より本丸を望む


明治天皇御登臨之阯碑
 明治天皇が天守台の上に登られた記念碑。側面に「明治13年6月に明治天皇が本縣御巡幸の際に親しく御登臨され御國見遊されし處なり」とある。


鉄門(くろがねもん):本丸側より)
 鉄門は、本丸の南側に位置する2階建ての櫓門として、明治初年まで存在していた。史実と伝統工法に基づき復元された。


鉄門(くろがねもん):天守曲輪側より)



天守曲輪石垣


内松陰門
 甲府城跡がある舞鶴城公園内の北西側入口にある門の一つで、発掘調査や史料に基づいて平成11年に復元された門である。


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