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日本百名城

No.20 佐倉城(さくらじょう)
別 名 鹿島城
城地種類 平山城
築城年代 天文年間(1532~55)、慶長十六年(1611)
築城者 千葉氏、土井利勝 
主要城主 土井氏、石川氏、松平氏、堀田氏、大久保氏、戸田氏、稲葉氏 
文化財・史跡 市指定史跡 
 天守の現況
関連施設 城下町佐倉歴史生活史料館、国立歴史民俗博物館、佐倉武家屋敷
所在地(訪城日) 千葉県佐倉市(2017/11/01)

佐倉城址公園案内図
  鹿島台地西端の川や急崖に囲まれた要害の地に、地元豪族の千葉氏が中世の城郭を築いた。その後、慶長十五年(1610)に土井勝利が入封して大改修。石を一切用いず、土塁と深い空堀そして水堀で守られた土造りの近世城郭とした。


佐倉城大手門跡
  大手門は惣(総)曲輪の表門。この門の西側には武家屋敷地が整備され、三の丸御殿・会所などが置かれていた。


佐倉城址公園入口:大手門跡から一直線の道路


公園入り口付近の空堀


堀田正睦像

タウンゼント・ハリスの銅像
 堀田正睦は、下総佐倉藩の第5代藩主として藩政改革を行う傍ら蘭学を奨励し、佐倉順天堂を開く。幕政では、安政二年(1855)に老中首座となり、攘夷が叫ばれるなか、開国が必要と説き、アメリカ総領事タウンゼント・ハリスと「日米修好通商条約」を結んだ。  


本丸跡付近の土塁


本丸跡
  一の門を入ったところが本丸。中央に本丸御殿。それを囲むように天守閣、銅櫓、角櫓が建てられていた。周囲は土塁が築かれ、その上に板塀があったそうだ。 中央奥に天守台。


天守台の佐倉城天守跡碑

佐倉城天守閣模型


馬出空堀
明治時代に城内に入った陸軍によって埋められた角馬出の空堀だが、復元整備された。


姥が池
  江戸時代の書物に、数千匹のひき蛙が左右に分かれて7日間、蛙合戦が行われたと記されている。後の天保年間、家老の娘の子守役の姥がこの池に娘を落とし死なせてしまった。困り果てた姥はこの池に身を投げた。以来「姥が池」といわれるようになったとのこと。


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