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日本百名城

No.18 鉢形城(はちがたじょう)
別 名  ―
城地種類 平山城
築城年代 文明八年(1476)、永禄年間(1558~1570)
築城者 長尾景春、北条氏邦 
主要城主 長尾氏、上杉氏、小田原北条氏 
文化財・史跡 国指定史跡 
 天守の現況
関連施設 鉢形城歴史館
所在地(訪城日) 埼玉県寄居町(2017/07/12)

鉢形城全体イメージ図
 鉢形城跡は、戦国時代の代表的な城郭跡である。城の中心部は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれていて、天然の要害をなしている。この地は、交通の要所に当たり、上州や信州方面を望む重要な地点であった。 


鍬形城址曲輪配置図
 鉢形城は、文明八年(1476)長尾景春が築城。後に、小田原の北条氏邦が整備拡充し、現在の規模とした。関東地方有数の規模を誇る鉢形城は、北関東支配の拠点、さらに甲斐・信濃からの侵攻への備えとして重要な役割を担っていた。
 天正十八年(1590)、豊臣秀吉による小田原攻めの際には、前田利家・上杉景勝等の北国軍に包囲され1ヶ月余りにおよぶ籠城の後に、北条氏邦は、城兵の助命を条件に降伏し、鉢形城はこれで実質廃城となった。


鉢形城公園入口(模擬冠木門)
ガイダンス施設である鉢形城歴史館が設置されている。



三の曲輪の石垣
  土塁の表面に川原石を階段状に積み上げているのが特徴で、約1m積んでは控えをつくり、更に積み上げて土塁全体を高く造り上げている。数箇所に階段を設け、有事の際には城兵が駆け上がったものと思われる。裏込め石は使用されておらず、西国の石垣とは技術的な違いが認められるため、石積と呼んでいる。


三の曲輪の石垣(奥)
北条氏邦の時代に築かれた石積土塁。中世後期とは言え、石を使った土塁は珍しい。


二の曲輪と三の曲輪(奥)間の堀


三の曲輪から二の曲輪を臨む


鉢形城三の曲輪の復元四脚門
 「洛中洛外図屏風」に描かれている細川管領邸の板屋根を意匠しているという。


三の曲輪から荒川を望む
  鉢形城の中心部は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれていて、天然の要害をなしている。


二の曲輪
  平成九年度に行われた発掘調査では掘立柱建物跡や鍛冶工房などが確認されている。また、調査によって、この曲輪と三の曲輪の間にある堀に沿って、土塁の基底部が確認されたことから、土塁を復元整備した。


本丸跡

田山花袋碑
 戦国期の城郭として全国的にたかくひょうかされている国指定史跡  田山花袋は、鉢形城址に立ち寄りその雄大な眺めに胸を打たれ、格調高い漢詩を詠んだ。

城内を流れる深沢川


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