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日本百名城

No.14 水戸城(みとじょう)
別 名 馬場城
城地種類 平山城
築城年代 建保二年(1214)、文禄二年(1593)、寛永二年(1625)
築城者 馬場資幹、佐竹義宜、徳川頼房 
主要城主 馬場氏、江戸氏、佐竹氏、武田氏、徳川氏 
文化財・史跡 国指定特別史跡(弘道館) 
 天守の現況
関連施設 弘道館、偕楽園
所在地(訪城日) 茨城県水戸市(2018/02/21)

水戸城城郭図
 水戸城の築城は古く平安時代末期まで遡る。馬場資幹が源頼朝からこの地を賜り、建久年間(1190~1198)に城を築き以後9代約240年間続いた。城は、佐竹氏が入城するまで「馬場城」と呼ばれた。
 室町時代に入り、当主の大掾満幹は足利幕府側につき江戸通房に敗れ、以降約160年間江戸氏支配となる。
 天正十八年(1590)、佐竹義宣が江戸氏を討伐し、常陸太田から水戸へ本拠地を変えた。しかし関ヶ原の戦いで佐竹氏は家康に抗したため、慶長七年(1602)秋田(久保田藩)へ移封され、わずか13年間の支配だった。
 慶長十四年(1609)、徳川家康の11子である頼房が城主となり、以降、廃城まで水戸徳川家の居城となった。


大手橋

三の丸と二の丸間の空堀(現在:車道):左が二ノ丸
大手橋の下は二の丸と三の丸の空堀跡。自動車道(県道232号市毛水戸線)となっている。


大シイ
 水戸市指定記念物の大シイは、戦国時代から自生していたと伝えられ、樹齢は400年ほどと推定されている。2株あり太い方は根回り6.8m、目通り4.3mある。スダジイという種類に分類され、福島県や新潟県以南の沿岸地域によく自生している。


杉山城
水戸城三の丸で、北側の登城口だった「杉山門」が再生され、往時をしのばせる景観となった。


本城橋:二ノ丸と本丸を結ぶ橋

二ノ丸(右)と本丸(左)間の空堀(現在:JR水郡線)


薬医門
  薬医門は水戸城に現存する唯一の建造物。城門の風格から橋詰門(本丸の表門)と考えられている。構造や技法からみて安土・桃山期、佐竹氏が統治していた1591~1602年ごろの創建だそうだ。永らく城外に置かれていたが、昭和56年に本丸の入口に近いこの場所に移築され、部分補修・復元された。


弘道館正門
  弘道館創立時に建てられた正門は重要文化財に指定されている。本瓦葺き四脚門という建築様式であり、藩主の来館や儀式のときにのみ開門した。天狗党の襲撃(弘道館の戦い)でつけられた傷跡が門柱や扉に見られる。


弘道館:三の丸にある水戸藩の藩校


弘道館内

弘道館の庭


三の丸跡の空堀
空堀の深さ、土塁の高さ、法面の角度など土造りの城の魅力が味わえる。

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