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日本百名城

No.10 山形城(やまがたじょう)
別 名  霞ヶ城
城地種類 平城
築城年代 延文二年(1357)、文禄元年(1592)、元和九年(1623)
築城者 斯波兼頼、最上義光、鳥居忠政 
主要城主 斯波氏、最上氏、鳥居氏、保科氏、他 
文化財・史跡 国指定史跡 
 天守の現況
関連施設 長谷堂城跡公園、成沢城跡公園、最上義光歴史館
所在地(訪城日) 山形県山形市(2018/12/02)

案内図
 山形城は、最上氏の祖・斯波兼頼が延文二年(1357)に創築した。その後、戦国時代末期に最上義光が十数基の櫓をそなえた大規模な平城に拡張整備、その後に入った鳥居氏も大幅な改修を行い、城の形が定まった。縄張りは3重の堀が巡らされた典型的な輪郭式で、本丸に天守はなく、防御の中心は二の丸におかれていた。 


二の丸東大手門
 二の丸東大手門枡形にあった建物は明治八年(1875)に解体された。史実に基づき復元された二の丸東大手門は、高麗門、櫓門、続櫓などからなり、近世城郭の典型的な枡形門となっている。


二の丸東大手門の橋より屈折した二の丸堀
 大手門の橋に横矢をかけるために土塁が張り出している。二の丸の堀と土塁はこうした屈折個所を多くして、防御力を高めている。堀の右の線路は奥羽本線。


二の丸東大手門の橋より二の丸堀


二の丸東大手門


本丸一文字門石垣・大手橋・高麗門・枡形土塀
 外枡形の虎口はこの一か所だけである。大手橋を渡り、右折して櫓門を通り本丸に入る。虎口まわりは石垣で堅子にしている。明治時代に破却されたが、平成27年までに堀の一部とともに石垣・大手橋・高麗門及び枡形土塀が復元整備された。


本丸堀


最上義光騎馬像:背後は二の丸東大手門
 上杉景勝の重臣・直江兼続が攻めてきた際、義光自らが陣頭となって決戦の場へ向かっていく雄姿を山形鋳物で再現した。昭和52年(1977)建立。


南追手門


南門橋より二の丸堀(城に向かって左)

南門橋より二の丸堀(城に向かって右)


城の東側の堀と土塁


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