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日本百名城

No.8 仙台城(せんだいじょう)
別 名 青葉城
城地種類 山城→平山城
築城年代 慶長五年(1600)
築城者 伊達政宗 
主要城主 伊達氏 
文化財・史跡 国指定史跡 
 天守の現況
関連施設 仙台市博物館、仙台城見聞館
所在地(訪城日) 宮城県仙台市(2018/12/03)

仙台城案内図
 仙台城は中世の城、千代城の跡に伊達政宗が慶長五年(1600)から2年余りで築いた城である。政宗は大規模な土木工事をおこなって青葉山に石垣、土塁で防御した本丸を築いた。城の四方は広瀬川の渓谷や断崖などに囲まれた天然の要害であった。天守は築かれなかったが、本丸は62万石の大名にふさわしい御殿が立ち並んでいた。これらの建物群も明治時代に破却され、昭和20年(1945)の空襲で焼失した。平成になって本丸跡の調査が進み、北面の高石垣が修復された。


修復された本丸跡北面石垣
 本丸北面の石垣で、修復工事に先立つ発掘調査では、背後に異なる2つの時期の石垣が埋没していることが確認された。


石垣モデル:野面積み

石垣モデル:切込接ぎ
本丸北壁石垣の全面的な解体工事により、伊達政宗が仙台城を築城した時期の石垣が地中から発見された。石垣の積み方は、石材の石面を加工することなく、自然のままの石や粗削りした石を用いて積む技法の「野面積み」を用いている。 この石垣モデルは江戸時代に築かれた石垣の石材。石垣の積み方は、「切込接ぎ」といわれる技法で、石切り場で規格された大きさの石材を調達し、石積みの際に、石垣の横方向の目地が通るように積まれた手法。


本丸北口:本丸跡の石垣と護国神社鳥居
鳥居をくぐり石段を上がった右手が詰ノ門跡。石垣は、修復された本丸北面の切込接の石垣。


詰ノ門跡
 本丸の正面入口であった。2階建ての瓦葺でほぼ大手門と同じ幅であったそうだ。右側の石垣には3層の西脇櫓が建っていたらしい。現在は護国神社の鳥居が建っている。


大広間跡
 本丸跡の北側に位置する大広間は、本丸御殿の主要な建物で、藩の政治や儀式を行う場でもあった。慶長15年(1610)に完成し、畳敷き部分と縁側を含めて約430畳にも及ぶ大規模な武家御殿建築であったと伝えられている。明治維新で取り壊された。


伊達政宗公騎馬像
 初代伊達政宗公騎馬像は昭和10年に完成したが、太平洋戦争中の金属供出によって失われた。その後初代騎馬像の鋳型が発見され、昭和39年に再建され現在に至る。


土井晩翠像
 土井晩翠は、昭和24年初めての仙台市名誉市民に、また昭和25年に詩人として初めて文化勲章を受け、昭和27(1952)年、82歳で死去した。


宮城県護国神社
 東北で初めて伊勢神宮より下げ渡された貴重な建物で、明治維新以後の戦死・戦没者の御霊約56,000余柱を祀っている神社。仙台城跡本丸跡に鎮座する。


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