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日本百名城

No.7 多賀城(たがじょう)
別 名  ―
城地種類 平山城(城柵)
築城年代 神亀元年(724)
築城者 大野東人(おおの の あずまびと)
主要城主
文化財・史跡 国指定特別史跡 
 天守の現況
関連施設 多賀城廃寺跡、東北歴史博物館
所在地(訪城日) 宮城県多賀城市(2018/12/03)

多賀城址案内図
 多賀城は、奈良時代から平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、11世紀中頃までの東北地方の政治・文化・軍事の中心地であり、神亀元年(724)に大野東人によって創建された。約900メートル四方という広大な城内の中央には、重要な政務や儀式を行う政庁があった。平城宮跡(奈良県)、太宰府跡(福岡県)とともに日本三大史跡に数えられている。


政庁復元模型
 主要な建物である正殿、東・西脇殿、南門のほかに、東・西楼と後殿が新たに建てられ、広場は石敷きである。南門の左右には翼廊が付き、築地塀には東・西殿や北殿などの装飾的な建物が付け加えられいた。


④政庁正殿跡
 多賀城の中央にいちし、一辺約100mの築地塀で囲われ、重要な政務や儀式が執り行われた。正殿跡は建物の規模が分かるように、基壇が復元整備されている。


多賀城正殿下の道路
丘陵部は掘削、低湿地は盛土し造られた長さ約300mの道路で、最盛期には幅23mあった。


南門イラスト

南門跡
 外郭南辺のほぼ中央に位置する門。発掘調査の結果、多賀城には南門・東門・西門が存在したことが明らかになっているが、多賀城の正面となる南門はひときわ立派であったと考えられている。この門から政庁正面にかけては約350mの直線道路が延びていた。


政庁を囲む土塁


多賀城南門と政庁を結ぶ道路
 多賀城の正面入口である外郭南門から中枢部である政庁へ南北にまっすぐに通ずる大路で、多賀城のなかで最も重要な道路である。


①外郭南門跡
 外郭区画施設の南辺ほぼ中央に位置する門跡。この門から政庁正面まで直線道路が幅23m、長さ約300m延びていた。


③城前地区
政庁南大路沿いに位置し、多賀城内では早い8世紀中頃の役所建物跡が見つかっている。


多賀城碑堂

多賀城碑(壷の碑)
 奈良時代の西暦762年に造られた古碑で、高さ196cm・最大幅92cm。碑面には141文字が刻まれており、多賀城の創建や修造、京から多賀城までの距離などが記されている。歌枕の「壺の碑(つぼのいしぶみ)」とも呼ばれ、松尾芭蕉が「おくのほそ道」に書き残している。日本三古碑のひとつ。


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