Top

日本百名城

No.6 盛岡城(もりおかじょう)
別 名  不来方城(こずかたじょう)
城地種類 平山城
築城年代 慶長2~3年(1597~98)
築城者 南部信直・利直・重直
主要城主 南部氏 
文化財・史跡 国指定史跡 
 天守の現況 天守台のみ残る
関連施設  ―
所在地(訪城日) 岩手県盛岡市(2017/09/18)

盛岡城址公園案内図
 盛岡城は慶長二年(1597)に起工し翌三年に豊臣秀吉の許可を得て本格的築城が始められた。本丸・二の丸・三の丸を中心に、腰曲輪(淡路丸)や榊山曲輪などの平坦部が配置された。
 中津川と北上川古川が城の直下を流れ、両川が合流する三角形の丘陵不来方(こずかた)の地に建てられた。城は、完成まで40年の歳月をかけ、以後明治維新まで南部氏代々の居城とされたが明治以降、建物はすべて破却され石垣が残るのみである。


三の丸西側の石垣
 石が不規則に積まれている江戸初期の石垣。


二の丸西側の石垣


本丸下、西側の石垣
 右上に上がって行くと、吹上門・本丸へと至る。盛岡城は、東北地方には珍しい総石垣造りの城で、会津若松城・白河小峰城とともに東北の石垣造りの三大名城のひとつである。


三の丸跡から望む二の丸東側の石垣
 奥は本丸。盛岡城は、明治七年(1874)にすべて破却され、石垣のみに往時の面影を残す。石垣は、城の丘陵から切り出した花崗岩が使われている。


本丸石垣と本丸への石段


本丸


廊下橋から望む本丸石垣
二の丸と本丸を結ぶ橋は、当時「御廊下橋」とよばれた。


廊下橋
 本丸石垣(右)と二の丸石垣(左)の間は、空堀跡で、空堀上の橋はかっては屋根のある「御廊下橋」であった。


烏帽子岩
 三の丸跡、公園の北入口にそびえたつ巨大な岩石。城地を削って三の丸を整地しているとき、烏帽子に似た岩石が出現、古くからあった八幡社の宝として崇められた。


淡路丸石垣


アクセスカウンター