中山道遊山旅


2012/02/21
熊谷宿 2里半7丁=10.5Km 深谷宿

【終戦12時間前の空襲】

 昭和20年8月14日、終戦12時間前の空襲で、往時の宿場の風情を色濃く残していた熊谷宿は灰燼に帰した。現在、旧道は交通量の多い国道に生まれ変わったが、古い建物もわずかながら残されている。

熊谷駅付近の中山道

古民家

古民家

高城神社社殿
【高城神社】

 市役所入口交差点の少し先に立派な鳥居が見える。高城神社の参道で、重々しく何重にも鳥居が並んでいる。高城神社は熊谷直実及び熊谷宿の氏神であり、今も地元住民の信仰を集めているそうだ。
 社殿は石田三成の忍城攻撃の際に焼け落ちたが、寛文十一年(1671) 忍城主によって再建されたものだ。
 境内左に、熊谷という地名の由来を伝える《熊野神社》が合祀されている。

高城神社参道

熊野神社など合祀

星渓園

熊谷寺
 高城神社を後にしばらく行くと《札の辻碑》、《本陣跡碑》が置かれている。当時の熊谷本陣の規模は日本一と言われたが戦災で建物は焼失、別邸だった《星渓園》のみが本陣裏手に残され一般公開されている。

 中山道を挟み星渓園の反対側に熊谷直実の菩提寺 熊谷寺(ゆうこくじ)があるが、立入禁止となっている。
【デパート内に中山道】

 熊谷寺から中山道に戻った角にある八木沢デパートは、中山道の真上。そのことを示す《旧中山道跡》碑が、デパートの出入り口に立っている。デパートの売り場そのものが中山道ということだ。申し訳ないとは思ったがありがたく通り抜けさせてもらった。

デパート入口の旧中山道跡碑

デパート出口の旧中山道跡碑

デパートの出口から続く中山道
 中山道は、デパートを通り抜けた先に昔ながらの道幅で続いている。しかし、残った旧道部分はわずか、八坂神社を過ぎると再び国道17号線と合流する。
八坂神社

新島一里塚

忍領領界石

不動尊堂
 国道をしばらく歩き石原(北)信号の少し先で国道と分かれる。旧道に入ると右手に17番目の新島一里塚がある。枯れて根元から数メートルを残す大ケヤキは樹齢300年以上だそうだ。一里塚のすぐ先に忍領を示す《領界石》も残っている。安永九年(1780)に忍城主が建てたもので原形をとどめた貴重な領界石とのこと。国道を横切ると小さな不動尊堂など史跡が点在する。
 不動尊の近くに名主か庄屋だったのだろうか大きな屋敷がある。しばらくのどかな田園地帯を行くと観音堂、その隣には庚申塔も残っている。

 籠原駅への交差点先に《明治天皇小休所跡》碑が置かれている。この付近が立場の中心であり江戸時代には賑わっていたとのことだが今は、静かな住宅地の感じである。次いで、敷地にスペースを作り置かれた馬頭観音、幾重にも赤い鳥居を連ねた鬼林稲荷神社と続く。

大きな屋敷

観音菩薩像

馬頭観音

観音菩薩堂

明治天皇小休所跡碑

鬼林稲荷神社

熊野神社
 殺風景な道をしばらくいくと石灯籠の立ち並ぶ長い参道の先に熊野神社、次いで御嶽山信仰名残の御岳神社、さらに愛宕神社と続き深谷宿へと近づく。
御嶽神社

愛宕神社

見返りの松
 国道17号線を横切る交差点に《見返りの松》が生えている。深谷に泊まった旅人達が一夜を共にした《飯盛り女》と別れを惜しんだ場所だそうだ。
 中山道で一番旅籠が多かったのが深谷宿。これは、熊谷宿が飯盛り女を置くことを禁じていたため、多くの旅人が深谷に泊まったための賑わいだったそうだ。
 《見返りの松》で国道を横切り300mほど行くと大きな常夜灯、ここが深谷宿の入口だ。本日はここまでとし深谷駅に向かう。深谷駅舎は見事な煉瓦造り、ミニ東京駅を思わせる。
常夜灯

深谷駅舎
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