芭蕉旅立ちの地を巡る

シリーズ  駅からハイキング     
コース名  芭蕉旅立ちの地を巡る
歩行日:期間  2016年10月7日(金): 10/7〜10/10
起点駅  JR常磐線 南千住駅〜北千住駅
歩行距離・時間  8Km :  2時間

@:松尾芭蕉像

 千住は芭蕉が元禄二年(1689)奥の細道の旅へと出立した地である。南千住駅前のこの芭蕉像は、昨年3月「奥の細道千住あらかわサミット」の開催を記念して造立された。


                松尾芭蕉像
A:延命寺・小塚原刑場跡

 江戸時代、小塚原は品川の鈴ヶ森と並ぶ刑場で、明治時代になって廃止されるまで磔、斬首などが執行されていた。刑死者や無縁仏の霊を弔うため小塚原の首切り地蔵が安置された。

小塚原の首切地蔵

小塚原回向院山門
○:小塚原回向院

 小塚原回向院は、行路病死者や刑死者の供養のため、1667年に小塚原刑場の傍らに開いた寺院である。主として国事犯の処刑場となったため、橋本左内、吉田松陰や鼠小僧、高橋お伝の墓など多くの供養碑がある。

橋本左内の墓(中央奥)

吉田松陰の墓(中央奥)
○:コツ通り商店会

 “コツ”とは骨のことだそうだ。南千住駅から日光街道(国道4号線)にかけて延びる商店街。下町情緒あふれる個人商店がおよそ300メートルに渡って軒を連ね、生活必需品や飲食店など120を越える店が並んでいる。

コツ通り商店会(振り返り撮影)

B:都電荒川線 三ノ輪橋停留所

 都電路線の大半が廃止された後も、唯一現存する路面電車・都電荒川線の起点駅で、JR王子駅・大塚駅などを経て早稲田停留所までを結んでいる。三ノ輪橋停留所は、約13000本のバラに彩られた広場となっている。
○:円通寺・黒門
 日光街道(R4)沿いにある円通寺は、本駅ハイのコースからは大きく外れているが、黒門見たさに寄り道をした。
 この寺は寺伝によれば、延暦十年(791)に開かれたと伝えられる。明治維新の折、慶応四年(1868)に行われた上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員を現在上野公園の西郷隆盛像があるあたりでこの寺の住職が火葬を行っている。そのため、この寺には火葬を行った場所の近くにあった上野寛永寺の総門(黒門)が移築され、亡くなった彰義隊の隊員の墓もある。

円通寺境内

黒門(官軍:薩摩藩側)、無数の弾痕が生々しい

黒門(彰義隊側)と隊員の墓

三の輪商店街
○:三の輪商店街
 三ノ輪橋停留所に隣接した商店街であり、昔ながらの味わい深い商が並んでいる。

○:千住製絨所跡
 明治十二年(1879) に創業された官営の羊毛工場跡であり、一部残る煉瓦塀が往時を偲ばせる。近くには、42歳の若さで死去した製絨所初代所長・井上省三像も置かれている。

千住製絨所初代所長・井上省三像

往時を偲ばせる羊毛工場煉瓦塀
○:若宮八幡神社と八幡太郎義家伝説

 若宮八幡の名のとおり仁徳天皇を祭神とする。平安時代、奥州攻めに向かう八幡太郎義家が、荒川の「渡裸川の渡し」を渡る際、目印に白幡を立てたとも伝える。足立区千住仲町の白幡八幡は、この白幡が納められた神社という言い伝えを持ち、この付近が古くから渡河地点であったことを推測させる。

若宮八幡神社

荒川ふるさと文化館
C:荒川ふるさと文化館

 荒川区の歴史と文化を学べるよう平成10年に開館。常設展示室には昭和41年頃の長屋を再現したコーナーや原始から現代までの展示がある。また、回向院にあった「橋本左内の墓旧套堂」が平成21年より復元・保存されている。
D:素盞雄神社

 素盞雄神社は、平安時代の延歴十四年(795) 創建の古社。地元では天王様と呼ばれている。 南千住、三ノ輪など61町にも及ぶ区域の総鎮守で、旧郷社。例祭「天王祭」は、都内でも珍しい二天棒の神輿で神輿振りをする事で知られている。境内にある「奥の細道」旅立ちの一節と芭蕉坐像を刻んだ「奥の細道 矢立初めの句碑」は文政三年(1820)に建てられた。

素盞雄神社社殿

奥の細道 矢立初めの句碑

素盞雄神社鳥居

千住大橋
E:矢立初の芭蕉像

 隅田川に架かる千住大橋の辺りは、江戸を発った松尾芭蕉が船を降り「奥の細道」600里へと歩き始めた地。句を詠む姿を象った芭蕉の石像が立っている。
 “行く春や鳥啼き魚の目は涙”
この句を旅の最初の句として、旅の第一歩を踏み出した。

おくのほそ道 旅立ちの地(千住大橋河畔)

芭蕉石像
○:仲町氷川神社
 素盞鳴尊(すさのおのみこと) を祭神とし、元和二年(1616)に創建された。石出掃部亮が遠江国から元義村に持ってきた観音像を祀っていると言われている。

F:千住神社(富士塚)
 延長四年(926)創始。奥州遠征の際、源義家が戦勝を祈願したと伝えられている。
 境内にある富士塚は足立区の登録有形民俗文化財。戦国時代から江戸時代初期より始まった富士山登山信仰・富士講は、関東を中心に広く信仰を集め、江戸末期には「江戸八百八講」と言われるほどであった。現在でも富士山開きの七月一日のみ、登山参拝ができる。

仲町氷川神社

千住神社参道

千住神社 富士塚
G:勝専寺(赤門寺)

 勝専寺はJR北千住駅の西300mにあり、縁起によれば文応元年(1260)創建、山門が朱塗りであることから “赤門寺” と呼ばれてきた。江戸幕府二代将軍徳川秀忠、三代将軍家光が鷹狩の際の休憩所であった。本堂に安置されている千手観音立像(非公開)は荒川の底から引き上げられ、千住の地名の由来になったといわれている。
 赤門は普段閉ざされているが、1月と7月の15・16日の閻魔詣に開放され、境内や門前に出店が並ぶそうだ。

勝専寺本堂

勝専寺鐘楼と閻魔堂

勝専寺赤門

千住本氷川神社 旧社殿
○:千住本氷川神社

  素盞鳴尊(すさのおのみこと)を祭神とし、徳治二年(1307)牛田に創建され、江戸時代初期に現在地に分社を建立したといわれている。荒川放水路(現荒川)建設の際に牛田氷川神社を合祀した。昭和45年に社殿と社務所が新築され、旧社殿が登録文化財に指定された。千住七福神の大黒天が祀られている。
H:安養院(かんかん地蔵)

 鎌倉時代に千住元町で創建したと伝わる。慶長三年(1598)、戦火にあい現在地に移転した。境内には“かんかん地蔵”と“仲直し地蔵”が並んで祀られている。
 “かんかん地蔵尊”を小石で叩くとかんかんと音がし、叩いた石で地蔵のかけらが落ちる、それを財布に入れて置くと願い事が叶うと伝えられている。多くの参拝者に打たれ続けたお地蔵さん、頭から胸にかけて剥ぎ取られ摩滅している。
 他に境内には樹齢500年のくろまつや芭蕉の句碑があり
 「ゆく春や鳥なき魚の目は泪」と彫られている。

安養院本堂

かんかん地蔵(左)と仲直し地蔵(右2体)

樹齢500年の黒松

芭蕉句碑

千住街の駅
I:千住街の駅

 元鮮魚店だった建物を利用した昭和レトロな雰囲気の案内所。街歩きに役立つマップや街のイベント情報が手に入る。

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