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天文四年(1535)当地に疫病が流行したため、京都今宮神社より健康神である須佐之男命を勧請して今宮神社を創建した。
江戸幕府の崇敬が厚かった今宮神社を幕府要職にあった武士が参詣した折、このケヤキに馬をつないだという由来から《駒つなぎのケヤキ》と名付けられたが、龍神木とも呼ばれている。この大ケヤキには空洞があり、昔から《洞木(どうぎ)》と呼んで、龍神の棲家であると云われてきた。平成三年末、社殿に奉安してあった御神体(龍の彫り物)が突風に舞い上げられた。風は竜巻となり大空を駆けのぼり、大ケヤキの空洞のあたりに消えていった。この不思議な出来事を目の当たりにした宮司と氏子たちは、これを記録に残し以後、このケヤキを《龍神木》と呼ぶようになったとのこと。
主幹はとうに失われているが、どっしりとした根株と側枝で樹形を保ち貫録のある巨樹となっている。 |