さいたま市の散歩道


浦和駅東口
前地通り商店街
 小径に沿って、昔懐かしい店が並ぶ。和菓子、総菜などこだわりの食品を並べる店もある。

三本木稲荷
 前地通り商店街の中ほどに稲荷社があり、玉垣には賑わいを重ねたころの商店名が刻まれている。

庚申塔
 商店街の後半にある元文3年(1738)銘の庚申塔は、邪気を踏みつける憤怒の青面金剛立像。悪事を「見ない・聞かない・言わない」の三猿像。月と日、鶏といった魔性を調伏する図像も彫られている。
前地通り商店街、その中ほどに三本木稲荷

三本木稲荷

庚申塔
柊稲荷社
 当社の創建年代は不明。かつて金庫が珍しかった時代に、大きな金庫があったということから、通称「金庫稲荷」と呼ばれていたそうだ。玉垣には、浦和町をはじめ三室、与野、東京、神奈川、遠く大阪の商人や、日本画家の名などを見ることができる。


圓蔵寺
 寛正三年(1462)、唯教院日圓の開山によって千葉県夷隅郡総野村(現在の勝浦市)に創建された。明治19年(1886)に千葉県から移転した日蓮宗のお寺。

柊稲荷社鳥居と玉垣

圓蔵寺

柊稲荷社本殿

岸町緑道
岸町緑道
 昭和9年(1934)、11年間に及ぶ大事業であった浦和耕地整理が完了し、常盤・高砂の町名が誕生した。常盤から白幡沼へ向かう岸町西大排水路が造られた。近年、水路は暗渠にして岸町緑道となった。


神明社
 神明台の縁にある小社。数百年前には、東方の湿地から見る灯りが、灯台の役目をしたとの伝承が残る土地に建っている。「福だるま」の石像は、昭和36年(1961)、氏子が人々の幸福を願い福だるまを配ったことに由来するそうだ。

神明社鳥居

神明社小社と「福だるま」
関元屋
 関元屋は、もともと材木商・よろず商として中山道とともに時代を重ねてきた。現在の建物は大正5年(1916)ごろの建築と伝わる。店先にある井戸は関東大震災や東京大空襲で逃げ延びた人々の喉を潤したことから、お助け井戸と呼ばれている。


起志乃神社
 起志乃天神社は京都にある合格祈願の神社として全国的に有名な北野天満宮を、藤原朝臣忠勝が永仁六年(1298)に勧請し、明治四年に祖先青山貞勝により石祠が建立された神社である。地域では「起志乃天神社」と称され、五穀豊穣、無病息災、合格祈願を願う場所として親しまれてきた。

関元屋(画面右方にお助け井戸)

庚申石

⑤起志乃神社

岸町緑道
岸町緑道
 昭和9年(1934)、11年間に及ぶ大事業であった浦和耕地整理が完了し、常盤・高砂の町名が誕生した。常盤から白幡沼へ向かう岸町西大排水路が造られた。近年、水路は暗渠にして岸町緑道となった。

⑥寅薬師
 江戸時代初期に高野重兵衛が建立。目の病を治す仏として信仰され、多くの絵馬が掛っている。入口の石塔には「あさぼらけ とらのかしらに ゆめさめて るりのひざしをみるぞ うれしき」という御詠歌が刻まれ、足立十二薬師の11番札所でもある。
 薬師如来は、病気を治癒し、延命・長寿に導く仏でもあるが、「日本霊異記」に、盲目の女性が薬師如来に願掛けをし、目が見えるようになる逸話があることからも、寅薬師は特に目の病を治す仏として信仰された。

⑥寅薬師

「め」と書かれた珍しい絵馬