さいたま市の散歩道







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西
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井澤弥惣兵衛為永の銅像
見沼自然公園

 大宮駅からバスで20分、締切橋バス停で下車すると、目の前が見沼自然公園だ。見沼に点在する公園の中で最も自然を色濃く残した公園とのこと。入口から少し行くと、見沼たんぼの生みの親・井澤弥惣兵衛為永の銅像が、広い見沼たんぼを見渡すように建っている。見沼代用水により本県有数の水田地帯が生まれた功績を後世に伝えるべく、2005年に生誕350年を記念して銅像が建立された。

 睡蓮の花咲く池のほとりから青葉の茂る遊歩道を抜け、加田屋川添いの農道に出る。まったく道標の見当たらない路、川を渡り対岸をしばらく行き、目印の「cofeぎゃらりー」案内板で右折、加田屋川を離れ、田園地帯を萬年寺へと向かう。
 

睡蓮の花咲く池

青葉の茂る遊歩道

加田屋川添いの農道

「cofeぎゃらりー」の案内板で右折
萬年寺

 創建は不詳、応仁年間(1467)以後、廃寺同然だったが、永正六年(1509)龍穏寺の末寺として再興された。江戸時代中期、井澤弥惣兵衛が詰所を置いた寺である。見沼代用水西縁と東縁の用水路を作り上げるとともに、その中間を流れる芝川の見沼通船堀を開通させ、江戸への水路を拓いた。その業績を称え文化14年(1817)頌徳碑が建てられた。

頌徳碑(しょうとくひ):偉人や先覚者などの徳をほめたたえる文章を刻んだ碑。

萬年寺

片柳の筆塚
片柳の筆塚

 筆塚は、使い古した廃筆を埋めて塚を作り、その功に報いるものである。この筆塚は、片柳村の名主・守屋巌松斎(1791~1863年)が天保12年(1841)に建てたものだ。巌松斎は、書道・華道の大師匠として、江戸時代後半の文化文政期に活躍した人物である。

画像註:祠に向かって左に筆塚、右に花塚
熊野神社

 片柳熊野神社の創建年代は不詳だが、十二所権現社と称し、片柳村の鎮守だったそうだ。明治三年熊野神社と改称された。境内のあちこちに力石が奉納されていて、その昔若者たちが挑戦したであろう賑わいを想い起こさせる。

熊野神社

熊野神社に奉納された力石

熊野神社鳥居

熊野神社大楠

芝川に架かる新宿橋から市立病院を望む
 新宿橋で芝川を渡り、彼方に見える市立病院を目指し田園地帯を適当に歩き「みむろ桜広場」に向かう。一休みして、見沼代用水西縁沿いを浦和西高斜面林へ向かう。
 斜面林の右側斜面は地元の方々のボランティアで管理されたヤブカンゾウの群生地、お目当てのヤブカンゾウを堪能してゴールのさいたま新都心駅に向かう。

サトイモ畑を「みむろ桜広場」へ向かう

見沼代用水西縁

みむろ桜広場

浦和西高斜面林

ヤブカンゾウ群生地

ヤブカンゾウ

ヤブカンゾウ