さいたま市の散歩道

与野駅:上木崎界隈から見沼を歩く
与野駅東口
 スタート、ゴール

中山道と六国見
 中山道と赤山道が交差するこのあたりには立場茶屋があり「木曽路名所図会(文化二年[1805]刊)には「富士・浅間・甲斐・武蔵・下野・上州」関東六国の山々を見渡せる見晴らしの良い名所としてしられ「六国見」と呼ばれていた。

念仏塚
 大飢饉や天災・疫病などにより飢え苦しみ、世を嘆く人々を救うため、苦悩を一身に背負い、断食行をして衆生救済を願いながら土中に入定、念仏往生された比丘(僧侶)の塚と伝わる。塚上の石塔に「単誉宗心比丘 霊位」「寛政四年(1783)」と刻まれている。

与野駅東口

①中山道と六国見

②念仏塚

〇長屋門
長屋門
 長屋門は、近世以降、武家屋敷の敷地の周囲にめぐらせた長屋(家臣の住居)の一部を門として開いたものである。

足立神社
 かつては高埇(たかはな)明神社と呼ばれ、中世の高埇氏にまつわる古社である。境内に立つ「お百度石」は、願い事を一身に祈り、本殿と百往復する基点の標である。

正福寺
 門前や墓域に散在する板石塔婆に、当時の古刹を偲ぶことができる。本尊は正観音菩薩。鐘楼前には、六界を輪廻する、人の魂を救うとされる六地蔵を石塔の六面に彫った希少な供養塔がある。

③足立神社

③お百度石

④正福寺

④正福寺鐘楼
見沼代用水西縁
  見沼代用水西縁は、埼玉県上尾市・さいたま市・川口市を流れる灌漑農業用水および都市用水路で、新田開発のために干拓された見沼溜井に代わる用水という意味である。

カンゾウと斜面林
 浦和西高等学校は昭和31年(1956)、南区別所からこの地に移転した。台地の斜面約4000㎡では「浦和西高斜面林友の会」の手で、見沼の里山の自然を保全する試みが行われている。
 また、見沼代用水西縁の周辺では、春は桜、初夏は新緑の中のカンゾウ、初秋は曼殊沙華などの群生が楽しめる。

長屋門
 長屋門は、近世以降、武家屋敷の敷地の周囲にめぐらせた長屋(家臣の住居)の一部を門として開いたものである。

〇見沼代用水西縁(市川橋付近)

⑤斜面林

〇長屋門

見沼代用水西縁の桜並木(4月6日撮)

カンゾウ(7月11日撮)

曼殊沙華(9月18日撮)

⑥正樹院
正樹院
 見沼の斜面林を背に、いぶし銀の翼を広げたような甍の本堂が建つ。本尊は48の願いを成就し、悟りを開いた極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来。ここは大永元年(1521)、細谷三河守の開基と伝えられる古刹である。徳川家光以降歴代将軍から寺領14石が認められていた。

庚申塔
 元禄15(1702)青面金剛立像六臂。右手に剣を逆手に持ち、左手にショケラ。足の両脇に丸い二鶏を浮彫り。青面金剛の足元の邪鬼は下の三猿よりも小さい。光背の右脇には「為庚申供養二世安楽也」全体にしっかりした彫りだ。
所在地:上木崎赤山道三差路 浦和区上木崎4-11

⑥正樹院鐘楼

〇庚申塔
赤山街道説明板(上木崎けやき公園)
  赤山街道は、関東郡代の伊奈忠治が、江戸時代初期に築いた赤山陣屋(川口市赤山)とつながる複数の道の一つ。現在地を通る赤山陣屋までの道筋には坂がなく、年貢米などを運ぶのに都合が良かったそうだ。
上木崎大けやき公園(与野駅前大ケヤキ縁の公園)
 JR与野駅東口前の旧中山道沿いの交差点のど真ん中に大ケヤキが生えていた。樹齢300年で高さ約12m、幹周り約6mの大木だが老齢化で内部が腐食し、倒木の恐れがあるとの指摘があり2010年に伐採。その子孫数本がここに植樹された。

一本杉の仇討の碑
 文久四年(1864)、水戸藩士 宮本鹿太郎が3人の後見人と共に「万延元年(1860)常陸国鹿島津の宮沖の船中で口論のすえ命を落とした父佐一郎の仇」を、この地で討った。仇の讃岐丸亀藩浪人河西裕之助は、仏門に入るため江戸に向かう途中、一本杉で討たれた。幕末最後の仇討として語り継がれた。

〇赤山街道説明板

〇上木崎大けやき公園

⑦一本杉の仇討跡(説明板と石碑)