昭和24年(1949)、旧皇室苑地の一部が国民公園として開放されたもの。クロマツの点在する大芝生広場と江戸城のたたずまいを残す歴史的建造物が調和している。 |
クロマツの点在する大芝生広場 |
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二重橋 皇居前広場から正門を経て宮殿へ至る濠に二つの橋が架かっており、手前の橋が「正門石橋」、奥の橋が「正門鉄橋」。 「二重橋」は一般にこの二つの橋を総称して言われているが、厳密には奥の橋を指す。 奥の橋はかつて、「下乗橋」と言われ、橋桁を支えるため、中途に台があって二重構造となっていたことからこの名がついた。現在の橋は、昭和39年(1964)に意匠など変えることなく架け替えられたものである。 これらの橋は、通常は使用されず、新年の一般参賀や外国賓客の皇居訪問等宮中の公式行事の際に利用される。 |
二重橋濠に架かる二重橋(正門石橋)と奥に伏見櫓 |
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手前の二重橋(正門石橋) |
二重橋濠に架かる二重橋(正門鉄橋)と右に伏見櫓 |
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桜田門(高麗門) |
桜田門 桜田門は寛永十三年(1636)に徳川家康の入府際に修築された。桜田門は2つの門からなり、第一の門(高麗門)を通ると枡形の空地があり、右折すると第ニの門(渡櫓門)になる。 江戸見附様式で枡形形式の城門を構成している。 この桜田門の桝形は15間x21間あり、現存している城門の中では最も広い規模である。昭和36年、国の重要文化財に指定された。 安政七年(1860)3月3日、勅許なく安政の仮条約に調印し、安政の大獄などで弾圧を行った大老井伊直弼が、水戸・薩摩の浪士らに桜田門外で暗殺された事件があった。「桜田門外の変」 |
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右、桜田門(高麗門)と左、桜田門(渡櫓門) |
桜田門(渡櫓門) |
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坂下門 坂下門は、かつては江戸城西の丸の通用門だったが、明治になり、橋や高麗門は撤去され、奥にあった渡櫓門の向きを90度変えて現在の場所に移築したそうだ。現在は特別公開以外は非公開である。 幕末の文久二年(1862)、老中安藤正信が6人の浪士に襲撃された「坂下門外の変」はこの門前で起こった。 桔梗門 内濠の桔梗濠と蛤濠の間に架かる土橋の先に、慶長十九年(1614)に造られた桔梗門がある。門名の由来は江戸城を築いた太田道灌の家紋の桔梗紋から付けられた。現在も門の鬼瓦に桔梗紋が刻まれている。 巽櫓 江戸城の時代、本丸から見て辰巳(東南)の方向に位置している事が名前の由来。関東大震災で倒壊した後に復元され、現存する唯一の隅櫓として人気のスポットとなっている。 |
蛤濠と坂下門 |
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桔梗濠と桔梗門 |
桔梗濠と巽櫓、左奥に富士見櫓 |
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楠正成像 |
楠正成像 レスハウスの正面に、二重橋を正面に見据える楠正成像がある。正慶二年(1333)、隠岐の島から還幸途次の後醍醐帝を兵庫の道筋でお迎えした折の勇姿を象ったものである。大きな御影石の台座の上に据えられているこの像は、上野の西郷隆盛像・靖国神社・大村益次郎像と共に東京の三大銅像の一つと云われている。 |
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和田倉噴水公園 皇居の森と丸ノ内ビル群の間にあるこの噴水公園は、今上天皇のご成婚を記念して昭和36年(1961)に建設された。平成七年(1995)、皇太子殿下のご成婚を記念して大規模な改修工事が行われた。3基の大噴水は元通りに復元され、地球をイメージしたモニュメントが新しく造られた。 |
和田倉噴水公園 |
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