将門塚

    三井物産ビルの東側に、将門伝説の首塚がの碑が建っている。平安時代、朝廷に反逆し下総で討死した平将門の首が京でさらされ、その首を所縁の人々がもらい受け、当時の武蔵の国豊島郡平川村(皇居平河門あたり)の観音堂の傍らに埋葬したとも、怨念で京から首がこの地に飛んできたものを祀ったともいわれている。

訪問日:2016/11/16 駅からハイキング JR神田駅

将門塚

「将門塚」解説板
 平将門は、平安時代中頃に、関東地方で大規模な反乱(天慶の乱)を起こした人物です。かつては将門塚という塚や御手洗池と呼ばれる池がありましたが、大蔵省再建の際に崩されたとされます。徳治2年(1307)遊行寺二世真教上人が塚を修復し、板石塔婆を立てて傍らの日輪寺において供養したとされます。その霊は神田明神において祭られ、神田明神が移転した後も塚はこの地に残りました。明治時代以降、幾多の変遷の後、昭和45年に将門塚保存会などにより現況に整備されたものです。
                           東京都教育委員会


将門首塚

将門首塚

「将門首塚」解説板