日比谷公園

所在地  東京都千代田区日比谷公園
アクセス  JR山手線・京浜東北線「有楽町駅」 徒歩7分
開 園  明治36年(1903)        イラストマップ
訪問日  2016年11月16日(水):駅からハイキング

日比谷公園

  日比谷公園は江戸城日比谷御門のすぐ外に位置し、江戸時代には松平肥前守等そうそうたる大藩の上屋敷が置かれていた。明治になると大名屋敷が廃されて更地となり日比谷ヶ原と呼ばれた。その後、陸軍操練所が設置され明治18年(1885) に日比谷練兵場と改称された。
 日本で初めて都市計画により計画・設計・造成された近代洋風都市公園第一号で明治36年(1903)開園した。

有楽門

日比谷見附跡(S)
日比谷見附跡
   この石垣は、江戸城外郭城門の一つ、日比谷御門の一部である。当時、石垣の西側は濠だったが、公園造成時の面影を偲び、心字池とした。

心字池
 日比谷公園ができる前は濠だった。その面影を残すため公園造成時に池としたもので、全体を上から見ると「心」の字をくずした形をしている。このような池を心字池といい、禅宗の影響を受けた鎌倉・室町時代の庭に見られる日本庭園の伝統的な手法のひとつである。

心字池 東より

心字池 南より

旧日比谷公園事務所
旧日比谷公園事務所

  明治443年(1910)公園事務所として竣工、当時としては極めて斬新なバンガロー様式の建物。震災や戦災でも損傷することなく残り、平成二年(1990)東京都の有形文化財に指定された。その後、民間活力導入により結婚式場として使用されている。
ルーパロマーナ(ローマの雌狼)

 この像はイタリアのローマ市にある幼子に乳を与える狼の像、ルーパロマーナ(ローマの雌狼)のレプリカで、昭和13年にイタリアから東京市に寄贈されたもの。ルーパロマーナの像はローマ帝国の建国伝説にちなんだもので、現在でもローマ市の象徴とされている。

ルーパロマーナ(J)

松本楼
松本楼

  日比谷公園内にある緑に囲まれた老舗洋食店。明治36年(1903)に創業。日露戦争の祝賀会開催や、中国の革命家・孫文が訪れるなど、政治的な施設としてもたびたび利用されてきた。カレーライス、ハヤシライス、オムレツライスなどが味わえる。
首賭けイチョウ

  この大イチョウは、日比谷公園開設までは、現在の日比谷交差点にあったもので、明治32年(1899) 道路拡張の為、この大イチョウが伐採されようとしたのをこの公園の設計者である本多静六博士が移植を進言、移植不可能とされていたものを、博士が「首を賭けても移植させる」と言って今の場所まで移動させたことから「首賭けイチョウ」と呼ばれている。

首賭けイチョウ(F)

雲形池 鶴の噴水(D)
雲形池 鶴の噴水

 雲形池は心字池と共に日比谷公園開園当時からの面影を残すドイツ風庭園様式の池である。池内には、明治38年(1905)製作のはばたく姿の『鶴の噴水』が置かれている。装飾用噴水としては、日本で3番目に古いものだそうだ(1番目は長崎諏訪神社、2番目は大阪箕面公園)。
当初は、鶴と台座とも銅製だったが戦時中の金属回収で台座が石造りになったものの、緑に覆われた静けさの中で心地よい水音を響かせ、水面に薄氷が張り鶴の広げた翼からいくつものつららが下がり、その姿は公園の冬の風物詩になっている。
石橋
   この石橋は、芝増上寺霊廟の旧御成門前桜川に架かる石橋の一つで、市区改正(現在の都市計画事業)の道路構築の時、ここに移したと伝わる。素朴なうちにも力強く、江戸時代の彫りの深さを漂わせている。
南極の石
 この石は、南極昭和基地から4kmの地点“東オングル島の慎太郎山(標高40m)”で、日本の南極観測隊が採取した。重さ150kgの片麻岩。南極観測船『ふじ』が持ち帰り、昭和41年(1965)日比谷公園に設置された。
はにわ像
  宮崎県立平和台公園が日比谷公園と姉妹公園となったことを記念して宮崎県より贈られたはにわ像。宮崎県には特別史跡である西都原古墳群をはじめとして多くの古墳がある。

石橋

南極の石(M)

はにわ像(G)

石貨(L)
石貨

  この円形の石は、南太平洋ヤップ島(現ミクロネシア連邦)でお金として使われていた石の貨幣で、石貨と呼ばれる。石貨は小さいもので直径6cm位から、大きいもので直径3mに達するものまである。一般に、1.直径の大小 2.表面が滑らかか粗いか 3.形のよしあし 4.運搬の難易によって価値が決められた。この石貨は直径1.35m 短径1.00mのほぼ円形で、大正13年(1924)頃、1000円位で通用したと言われている。
大正14年(1925) ヤップ島支庁長寄贈。
京橋の欄干柱
 この石柱は明治8年(1875)築造された京橋の欄干柱で、大正11年(1922)架け替えの際ここに移された。当時は、橋名を刻んだ親柱もあったが、昭和9年(1934)京橋の橋台地が整備された時そちらへ移された。

馬の水飲み
  口演開設当時(明治36年)の照明灯と同じデザインで作られた鋳鉄製の水飲みである。陸上交通の重要な部分を担っていた馬が、水を飲んだといわれている。

京橋の欄干柱(E)

馬の水飲み

自由の女神(K)

古代スカンジナビア碑銘譯(N)
自由の女神
 二科会員乗松巌制作の自由の女神像、昭和33年に開催された「春の野外彫刻展」出展作品。

古代スカンジナビア碑銘譯
  スカンジナビアの人々が、1957年2月ヨーロッパより北極経由で、日本への空路を開拓した。この碑は、北極航路開設10周年を記念して寄贈されたもので、スカンジナビアのバイキングの古代北欧文字碑を模したものである。