鎌倉時代の初期、建久年間(1190-1199)に源頼朝の命により、梶原景時が梶原家相伝の阿弥陀如来三尊仏を本尊として、多い丸山に創建。元応二年(1320) 火災、景時の墓所のある馬込へ移され再建された。 |
萬福寺本殿 |
|||||||||||||||
萬福寺山門 |
萬福寺中門(無量門)と鐘楼門 |
|||||||||||||||
萬福寺本堂書院 |
萬福寺鐘楼門 |
|||||||||||||||
・梶原景時の墓 梶原景時の子孫と名乗る安部家義により、慶長年間(1596-1615)に建てられた。文化文政(1804〜1829)の頃発行された「新編武蔵風土記稿」によれば、碑文に「梶原三河守影時、息子助五郎影末」という文字が確認できたそうだ。 |
||||||||||||||||
名馬「するすみ」の像 |
・名馬「するすみ」 景時とその子・景季は源平合戦に頼朝から賜った名馬「するすみ」と共に出陣して数々の武勲を挙げたといわれている。境内には創建800年記念の際に建てられた名馬「するすみ」の像がある。 ・室生犀星文学碑 室生犀星が萬福寺の隣接地に住んでいたことを記念して建てられた。 陽炎 「葱の皮剥がれしままにかぎろひぬ」 笹鳴 「笹鳴や馬込は垣もまだらにて」 |
|||||||||||||||
室生犀星歌碑 「陽炎」 |
室生犀星歌碑 「笹鳴」 |
|||||||||||||||