平成三年(1991)開館。文京区の歴史や文化について展示。文京区は弥生土器命名の地として知られ、古くから豊かな歴史をもっている。江戸時代には武家地・寺社地・町屋などが発展し、独特の産業や文化を形づくってきた。明治時代には東京大学をはじめとする多くの学校がつくられ、さらに森鴎外や樋口一葉など著名な文人たちが活動した地である。 |
文京ふるさと歴史館 |
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常設展示室 |
・常設展示室:文京のあけぼの 文京区は武蔵野台地の東縁に位置し、沖積低地との接点にあるため、地形が複雑に入り組み、大小の谷が刻まれている。文京区に坂が多く起伏の変化に富んだ町となったのはこのためである。谷の各所には湧き水があり、文京区一帯は旧石器時代から人々の生活の場となっていたことが発掘調査により明らかとなった。 |
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・千駄木の貝塚から発見された人骨 千駄木貝塚で発見された縄文時代のほぼ完全な姿で出土した人骨。この人骨は、20歳代後半の男性で、彫りの深い顔立ちの典型的な縄文顔で、歯並びもよく筋肉の発達した健康体とのこと。 |
千駄木の貝塚から発見された人骨 |
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江戸時代の町のジオラマ |
・やっちゃば 青物市場を「やっちゃば」と呼ぶのは、声を張り上げて野菜を売る声、セリの声、品物を数える符丁の調子から生まれたと言われている。 模型は、江戸時代末期「駒込のやっちゃば」の秋の朝の風景を、古い記録から想定して作ったそうだ。岩槻街道にある市場は、あきないをする人、野菜を運ぶ車や馬、それに通行人も行き来していてたいへんな賑わいである。 ・江戸の火消し展示(振袖火事は文京区で) 江戸の大半を焼失するに至った明暦の大火災を振袖火事とも云う。 |
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やっちゃば |
江戸の火消し展示 |
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・菊人形で賑わう団子坂(ジオラマ) 江戸・東京郊外の景勝地の一つであった団子坂で、幕末から明治期にかけて行われた菊人形は、東京の秋を彩る観光イベントであった。菊人形は頭と手足はリアルな人形、衣装は菊の花を用いて等身大に造られ、歌舞伎の場面や戦争などの場面を再現して見せた。明治9年から東京府に願い出て木戸銭を取って正式に興行化し、明治20〜30年代が最盛期となった。明治42年に両国国技館で電気仕掛けの大規模で斬新な菊人形が始まると、団子坂菊人形は急速に衰退し、明治44年が最後の興行となった。 |
菊人形で賑わう団子坂(ジオラマ) |
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昌平坂学問所の模型 |
・昌平坂学問所の模型 寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設された。 |
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