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続・日本百名城

No.137 福井城(ふくいじょう)
別 名 北庄城(きたのしょうじょう)、福居城
城地種類 平城
築城年代 慶長六年(1601)
築城者 結城秀康
主要城主 結城氏、松平氏
文化財・史跡
 天守の現況
関連施設
所在地(訪城日) 福井県福井市(2017/11/17)

福井城本丸復元図
  福井城は慶長6~11年(1601~06)に徳川家康の次男、結城秀康によって築城された平城である。かつては本丸を中心に二ノ丸・三ノ丸を同心円状に配した、四重・五重に堀を廻らす環郭式の縄張りを持つ大城であった。


天守絵図
 本丸北西隅に天守曲輪と天守台の2段の石垣をついて望楼型4重5階の天守が建てられた。高さは、天守台も含めて約37mにも及んだ。寛文九年(1669)に焼失した後は、同じように類焼した本丸南西隅の2重巽櫓を3重に再建し天守の代用としている。


天守台跡


天守台入口より控の天守台(画面奥)


控の天守台
 天守台の向かいにある小天守台(控え天守台)の一部は1948年の福井地震で崩壊。


雁木積石垣
雁木積とは階段状の石垣で、有事の際に狭間のある塀まですぐに登れるようになっている。


御本城橋
 橋は木橋から石橋へ、自働車道とするため枡形門の瓦御門は撤去された。城内の御殿も撤去され、県警察本部と県庁・県会議事堂などとなった。


御本城橋より内堀、右端に巽櫓跡の石垣


御廊下橋
 御廊下橋は、藩主が本丸と三ノ丸御座所の往復に用いた藩主専用の橋。平成20年(2008)に福井城築城400年記念として復元した。


山里口御門
御廊下橋側から攻め込む敵に供えた城門で、約8mの高さの櫓門があった。


復元された福の井
 天守台の近くに、福の井という井戸がある。結城秀康が福井城を築くよりも前からこの場所にあった井戸で、福井の地名の由来になったとも言われている。


結城秀康像
 徳川家康の次男として誕生したが、10歳で豊臣秀吉の養子に出される。16歳で結城家を相続し十万石の大名となる。27歳で越前一国68万石を拝領、福井城の改修に着手。34歳の若さで病気で生涯を閉じる。


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