No.114 唐沢山城(からさわやまじょう) | |
別 名 | 根小屋城、栃本城、牛ヶ城 |
城地種類 | 山城 |
築城年代 | 15世紀後半 |
築城者 | 佐野氏 |
主要城主 | 佐野氏 |
文化財・史跡 | 国指定史跡 |
天守の現況 | ― |
関連施設 | 佐野市郷土博物館 |
所在地(訪城日) | 栃木県佐野市(2019/5/7、2009/2/1) |
案内図 |
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栃木県佐野市街地の北方約5kmの唐沢山(247m)山頂を本丸として一帯に曲輪が配された連郭式山城である。周囲を急崖にかこまれ、眺望は関東平野を一望に、日光連山、南ア、富士山などが望める自然の要塞である。築城は平安時代の延長5年(927)、藤原秀郷が唐沢山に城を築いたのが始まりとされる。その後700年間、秀郷の子孫・佐野家代々の居城として16世紀中ごろに現在の形に整えられた。江戸初期の「山城禁止令」により唐沢山城の歴史は終わった。 戦国時代には、上杉謙信の10度にわたる攻城を受けたが、度々撃退して謙信を悩ませた。関東地方の古城には珍しく高い石垣が築かれているのが特徴である。関東七名城の一つ。 |
①くい違い虎口 |
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北の避来矢山、南の天狗岩の間にある防備を固めた出入口。土塁を食い違いにして直線的に侵入できないようにするなどの工夫がされている。 |
③大炊の井(おおいのい) |
避来矢山と天徳寺丸(西城)の間にある口径9m、深さ8m以上の大きな井戸である。築城時から現在まで涸れずに豊かな水をたたえているとのこと。 |
④四つ目堀 |
神橋 |
西城方面と帯曲輪以東を分断する大きな堀切で、古地図には堀口5間、深さ2間とある。現在神橋が架かっているが、かつては曳橋で、いざという時に橋を引き払い、通行を遮断した。 |
⑤大手道 |
当時における最終段階の大手の道筋が残っている。くい違い虎口から続く神社の参道を進み、南城の手前(西側)で二の丸方面に折れて坂道を上るルートである。そして、二の丸から本丸へと向かう。 |
⑦高石垣 |
本丸南西の石垣は約40m延び、南局の西側に続く。高さ8mを越える石垣は、小田原合戦以降、佐野氏が豊臣秀吉と深い関係にあったため、西日本を中心とする技術の導入によって築かれたものとされる。関東では極めて貴重なものだそうだ。 |
⑧二の丸より本丸を望む |
二の丸の周囲には石塁のような石垣が巡っている。奥御殿直番の詰所があったとされている。 現在本丸への通路は直線的にアプローチしているが、かつては鉤の手に折れていたそうだ。 |
⑨本丸 |
本丸跡には、藤原秀郷公を祀った唐沢山神社が建立されている。大手となる出入口は西側で、搦手口は北東になる。周囲に石塁のような石垣が巡っており、本丸の南西下に高さ8mを超える高石垣となっている。 |
唐沢山神社 |
唐沢山城の本丸跡に建っている神社。ご祭神は藤原秀郷公で、公の築城とされる唐沢山城の本丸跡に、明治13年に創建。8月は風鈴参道ということで、参道に風鈴が飾られる。ご朱印も毎月その季節のものがスタンプで押される。 |