No.113 土浦城(つちうらじょう) | |
別 名 | 亀城(きじょう) |
城地種類 | 平城 |
築城年代 | 室町時代中期頃 |
築城者 | 菅谷氏? |
主要城主 | 菅谷氏、松平氏、西尾氏、朽木氏、土屋氏 |
文化財・史跡 | 県指定文化財2件 |
天守の現況 | ― |
関連施設 | 土浦市立博物館 |
所在地(訪城日) | 茨城県土浦市(2017/11/29) |
亀城(土浦城)公園案内図 |
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土浦城は、室町時代後期ごろに若泉氏が築城した。現在知られている土浦城は江戸時代に城郭として整備されたものである。明治時代の廃藩置県後、土浦城は新治県庁などに利用され昭和十年(1935)に亀城公園として整備された。 |
左から、②東櫓、⑦霞門、⑧霞橋 |
⑦霞門(裏門) |
霞門は、土浦城の裏門であり江戸時代中期の貞享元年(1684)松平信興が藩主時代に造営された建物である。土浦城本丸の東側に位置し、2層の東櫓と枡形を形成している。土浦城の裏側(搦手)にあたる事から裏門、又は霞橋と隣接している事から霞門と呼ばれている。切妻、桟瓦葺、一間一戸、薬医門形式、袖壁付、門扉に潜戸付。 |
②東櫓 |
東櫓は譜代大名西尾氏が土浦城主であったときに建てられたと伝えられ、西櫓とともに東西の土塁の上に建てられた。「櫓」は、城の防御の拠点の一つとしての物見や武器庫の役割をもった建物だった。明治時代の火災で本丸館とともに失われたが、平成十年(1998)復元された。 |
水堀と②東櫓、⑤本丸土塀 |
本丸土塁上に建つ塀は、表(堀側)を塗り込めの大壁、裏(本丸側)を柱・貫のみえる真壁にして漆喰で仕上げた土塀である。塀には石落しや鉄砲狭間・大筒狭間が設置されている。 |
③西櫓 |
西櫓は昭和24年(1949)キティ台風の被害を受け、後に復元を前提として解体された。土塁上には礎石のみが残されていたが、平成三年(1991)に復元された。 |
①櫓門(太鼓櫓:本丸側より) |
櫓門は明暦二年(1656)に改築されたと伝わる。本丸にある櫓門としては関東地方では唯一現存するものだそうだ。階上に太鼓を置き、時を知らせていたことから太鼓櫓とも呼ばれた。 |
①櫓門(太鼓櫓:堀側より) |
⑩旧前川口門 |
この門は、親柱の背面に控柱を立て、屋根を架けた高麗門である。高麗門は城郭の門として建てられた形式のひとつで、この門も、武家屋敷であった多計郭(たけくるわ)と町屋の間を仕切る「前川口門」であったといわれている。江戸時代末期の建築である。 |
⑥本丸跡、奥に①櫓門 |
⑦霞橋より水堀 |