藪 原 宿 |
2013/09/18 |
上 松 宿 |
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宮ノ越宿 | 1里28丁30間=7.46Km | 福島宿 |
巴淵 |
国道19号の山吹トンネルを旧道で迂回すると、ほどなく巴淵に着く。木曽川の流が急に曲がって造りだされた美しい淵で、木曽義仲の愛妾巴御前が髪を洗った伝説がある。 宮ノ越は、木曽義仲が挙兵した地で知られまた巴御前の生地でもある。 |
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木曽義仲は久寿元年(1154)武蔵の国(現:埼玉県嵐山町)に源義賢の次男として生まれたが、ほどなく義賢は滅ぼされ、義仲はこの地に逃れてきた。 その後、治承四年(1180)後白河上皇の第二皇子《以仁王》より平家追悼の命を受けこの八幡宮の境内で旗揚げをした。以後旗挙八幡宮と呼ばれている。社殿傍らの大欅は樹齢約800年、落雷により傷ついた姿は、悲劇の武将を語っているかのようである。 |
大欅 |
旗挙八幡宮 |
宮ノ越宿入口付近 |
巴淵から宿場まで約600mだが、明治十六年(1883)の大火で宿場が全焼してしまったため、往時の面影はほとんど見当たらない。宿場の中ほどに本陣跡碑と解説板が立っている程度である。 わずかながら街道時代の面影を残す街中を行くと、学校帰りの子供たちが「こんにちは!」と元気よく挨拶してくれる。いっぺんでこの街が気に入ってしまうから不思議だ。 |
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本陣跡碑:宿場の中心地 |
街道時代の面影残す建物 |
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宿場遺構の少ない宮ノ越宿の出口付近に《明治天皇御膳水》なる井戸がある。 江戸末期に掘られた井戸は近郷随一の名水と言われ、旧本陣で小休された明治天皇にこの水で献茶されたことから御膳水と呼ばれるようになったとのこと。 | 御膳水 |
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宿場を出てしばらくすると69番目の一里塚跡碑が路傍の草叢に置かれている。昨年11月に設置されたそうだ。碑に刻まれた「宮ノ越 一里塚跡」の文字は、日義小学校の生徒の作品の中から選ばれた文字を刻んだとのこと。なかなか粋な計らいである。 | ||
一里塚跡碑を後に、田園地帯の一本道を10分ほど行くとJR中央線の踏切を渡る。さらに10分ほど行くと間宿
原野の集落となり、出梁造りの家が散見され街道時代の雰囲気を味わうことが出来る。 間宿(あいだのしゅく) 宿場と宿場の間に出来た休憩のための施設。宿場間の距離が長い場合や峠越えなどがある場合に、休憩のために出来たもの。ただし、宿場としては幕府に公認されていないため、建て前上は宿泊は認められていなかった。 |
田園地帯の一本道 |
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間宿 原野の街並み |
間宿 原野の街並み |
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庚申塔群 |
原野集落の少し先に庚申塔が集められている。街道筋に点在していたものを集めたのだろう。 庚申塔(こうしんとう) 中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。 庚申講とは、人間の体内にいるという三尸虫という虫が、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、庚申の日に夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。 |
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庚申塔の少し先に明星公園があり、右手山腹に明星岩が望める。朝日が当たると光るという三角形をした巨岩が山腹より飛び出している。その昔、木曽駒高原の濃ヶ池が決壊した際に転がってきたといわれている。 | 明星岩 |
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中山道 中間地点石柱と解説板、手前は水神碑 |
ここは、中山道の中間点、江戸、京都双方から67里28町(266km)に位置している。ようやく半分を歩いたことになるが、住まいからどんどん遠くなり、交通の便は極端に悪く、費用もかさむ。継歩の旅としてはようやく3割程度といったところだろうか? 尚、中間説は他にもあり、島崎藤村は《夜明け前》の中で、木曽11宿全体が真ん中だと述べている。 |
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中山道は車道を離れ路地に入り、さらに草生す山道ほどの細い路となる。何とも頼りない路だが、小さいとはいえ要所に道標があるので見落とさないよう慎重に進む。やがてほとんど踏み跡の見えない川沿いの草原に出る。 橋の欄干に付けられた道標に従い川を渡りさらに5分ほどとても街道とは思えない路を行くと車道に出た。 |
車道から路地へ |
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さらに細い路へ |
川沿いの草原に出る。 |
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出梁造りの家 |
車道に戻ると、昔風の建物もある小さな集落がある。木曽義仲育ての親である中原兼遠の屋敷跡がある集落だ。 集落の外れに手習天神がある。兼遠が義仲に学問を習わせるために《北野天満宮》を勧請したといわれている。義仲はここで学問を受け平家追討に立ち上がった。現在は木曽義仲を祀っている。 さらに10分ほど行くと路傍に出尻一里塚跡碑が置かれている。 |
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手習天神 |
出尻一里塚跡碑 |
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一里塚跡の先で再び国道19号と合流する。15分ほど行くと道路をまたぎ巨大な《冠木門》があり、そのすぐ先に復元された関所跡がある。当時は、この関所を無事通過できれば福島宿だった。 冠木門(かぶきもん) 門柱に貫(ぬき)をかけたもの。明治以降は屋根を持たない門を指すことが多い。 |
冠木門 |
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木曾福島関所跡 |
木曽路のほぼ中央にある福島関所は、日本四大関所のひとつである。四大関所とは、東海道の「箱根」と浜名湖の西岸に設けられた「新居」、そして中山道の「碓氷」とこの「福島」の四つの関所のことであり、江戸幕府が特別重要視した関所である。 《福島宿〜上松宿》 へ続く |
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再現された番所(現資料館) |
関所脇の路 |
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