宿

中山道遊山旅


2013/07/01(月)
2013/07/02(火)




宿
塩尻宿 1里30丁=7.14Km 洗馬宿




仲町交差点:塩尻宿入口
塩尻宿
 永福寺の少し先の仲町信号で国道に合流する。ここが塩尻宿の入口で、本陣1、脇本陣1、旅籠75軒の大きな宿場だった。松本街道との追分でもあったからだろう。しかし、文政年間(1818-30)と明治十六年(1883)の大火などで宿内ことごとく焼失してしまい、往時の面影はほとんど残っていない。跡地には、こまめに石碑が立てられ、街道時代を想像させてくれるが、市の中心部が塩尻駅付近にあるためか、宿内はどことなく空虚な感じがするのは否めない。
十王堂跡
 宿場に入るとすぐに双体道祖神などの石塔に囲まれ《十王堂跡》碑が立っている。十王とは、地獄において亡者の審判を行う閻魔大王をはじめとする十人の王の総称である。十王信仰では、死者の罪の重さは、遺族などが死者に代わって善行を積み、供養することで軽減されるとされていた。

十王堂跡

旅籠 いてふ屋(小野家)か?
旅籠 いてふ屋(小野家)?
 道端に立つ大きな看板《塩尻町区史跡案内図》に国指定重文 小野家と記された辺りにそれらしき面影を残す建物はあるが、碑や案内板は見当たらない、重文指定を返上したものと思われる。写真(左)の信号は、塩尻町交差点。
 塩尻町交差点を越えると高札場跡があり、道路の反対側には本陣跡碑た脇本陣跡碑がある。
 本陣跡の少し先に《中山道鉤の手跡》の碑が立っている。鉤の手とは、ほぼ直角に曲がっていることを意味し、中山道は右に鉤の手に曲る。

高札場跡

本陣跡

中山道鉤の手跡

阿礼神社
阿礼神社
 中山道を鉤の手に曲がるとすぐに阿礼神社前、社殿は将軍綱吉時代の寛保三年(1743)に再建したものだが、古くは坂上田村麻呂や木曽義仲も参拝したという長い歴史を持つ神社である。
堀内家
 堀内家は江戸時代、旧堀ノ内村の名主を勤めた豪農である。家屋は、本棟造りの構造手法から18世紀後半頃の建築とみられ国の重要文化財に指定されている。なだらかな大屋根の正面屋根構えの頂点に、「雀おどり」「雀おどし」「烏おどし」などと呼ばれている棟飾りが据えられている。当初は屋根から落ちる雪除けだったものがデザインとして進化したものとも云われている。

堀内家

堀内家

雀おどり

大門神社
 堀内家の少し先で再び国道に出るが、ここはすでに宿外れで石碑などが目につく。しばらく国道を行き下大門交差点で中山道は左に分岐する。国道を直進する道は松本街道(善光寺西街道)である。

大門神社
 旧道に入り少し行くとケヤキの大木が目立つ大門神社、この境内から昭和35年(1960)高さ65cm の完成品銅鐸が出土し、この地も銅鐸文化圏であることが判明した貴重な発見だったとのこと。
耳塚
 大門神社の直ぐ先に耳塚と呼ばれる小さな祠がある。祠の中にはたくさんの皿やお椀が奉納されている。耳が治ると古くから言い伝えられているそうだ。

 旧道には少しばかり古い建物や街道時代の雰囲気を模した建物もある。

耳塚の祠内

改築古民家?

改築古民家?

昭和電工塀の終点から来た道を振り返る
 JR中央線ガード下を通り、右に昭和電工の長い塀、左が畑の一本道を行く。昭和電工の塀の角を右に曲がり塩尻駅に向かう。本日はここまでとし翌日、この地点まで戻り中山道歩きを再開する。

平出一里塚
 継続地点のすぐ先に平出一里塚がる。旧道端に残っているのが南塚、北塚は少し奥まった民家裏に残っている。両方の塚がほぼ原形のまま残っている貴重な一里塚だ。

平出一里塚 南塚

平出一里塚 北塚
平出史跡公園
 一里塚を出るとぶどう畑が広がっていて、少し先の左手奥に平出史跡公園がある。登呂遺跡と並ぶ古代遺跡で、縄文時代から平安時代にかけて大集落があったそうだ。竪穴式住居などが復元されている。

復元された平出遺跡

史跡公園を後にぶどう畑を行く
 史跡公園を後にし、JR中央線踏切を渡る。ぶどう園の中をしばらく行くと国道19号にぶつかる。この中山道一里塚交差点を左に曲がり国道19号を行く。炎天下の辛い国道歩きが15分、平出交差点の少し手前の歩道わきに銅鐸のモニュメントが置かれている。平出交差点で国道と分かれ洗馬宿に向かう。

洗馬宿:せばじゅく

国道19号平出交差点手前

国道19号端の銅鐸モニュメント
肱懸松
 国道と分かれ少し行くと《細川幽齋肱懸松》がある。現在の松が何代目かは不明だが、細川幽齋が “肱懸けてしばし憩える松陰にたもと涼しく通う河風” と詠んだと伝えられている赤松だ。また、江戸二代将軍秀忠上洛の時、肱をかけて休んだとの説もあるそうだ。

肱懸松

幅1mに満たない中山道(右)
 肱懸松の少し先で中山道は右に分岐する。道標に従い、幅1mにも満たない狭い道を道なりに下るとT字路にぶつかる。常夜燈のある善光寺道とも呼ばれる北国西往還との分去れで、右に曲ると善光寺へ、中山道は左に曲っていく。

 三叉路に立つ道標に、“右 中山道”“左 北国往還 善光寺道”と彫られている。道標は、左の道を50mほど行った常夜燈のある追分にあったが、新道開通後、現在地に移された。この追分の辺りが洗馬宿の入口だった。

        《洗馬宿〜本山宿》 へ続く

左:善光寺道、右:中山道追分、中央に常夜燈

三叉路の道標
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