2012/03/27 |
||||
安中宿 | 2里16丁=9.5Km | 松井田宿 |
【久芳橋】 安中駅前の国道18号線を横断し数十メートルで中山道にでる。これを左折するがすぐに国道に合流し、久芳橋で碓氷川を渡る。前方に妙義山と真っ白な浅間山が真っ青な空の下に見える絶好のウオーキング日和に心が弾む。 本来の中山道は、碓氷川を徒歩で渡る道だ。久芳橋を渡った先の歩道橋に上り見下ろすと国道が中山道を断ち切っていることがよく分かる。 |
碓氷川に架かる久芳橋:正面に浅間山、左に妙義山 |
中山道を分断する国道18号(歩道橋より) |
熊野神社 |
【熊野神社】 国道と分かれ10分足らずで熊野神社に着く。起源は永禄二年(1559)、安中忠政が安中城を築城したとき、熊野三社を勧請して安中城の守護神としたのが始まりと云われる。 境内の大欅は樹齢1000年だが、落雷により樹身の三分の二が崩れ落ち、残る三分の一も傾いてしまい鉄柱で支え補強をしているが見応えのある巨樹・古木である。 |
樹齢千年の大欅 |
中山道に面し古の面影残す建物 |
大泉寺 |
【安中宿】 安中宿は本陣1、脇本陣2、旅籠屋17軒と小さな宿場だった。飯盛女を置くことも猛反対、城下町の堅苦しさも嫌われ宿場は苦戦していたそうだ。 熊野神社辺りから静かな街道沿いにレトロな建物が目立つ。 中山道を挟み、本陣跡の郵便局前に大泉寺、創建は文安年間(1444-14449) 初代安中藩主・井伊直勝の母親の墓がある。 |
【旧碓氷郡役所】 伝馬町の信号を右折、100mほど先に旧碓氷郡役所がある。役所開設は明治11年だが、建物は明治43年再建、一般公開されている。 中山道と並行した碓氷郡役所前の通りは大名小路と呼ばれ安中藩士の住居が並んでいた。宿場から一歩はいると武士の世界、規律が厳しい宿場だったのだろう。 【安中教会】 郡役所隣りの安中教会は、郡役所と同時期の創立で群馬県最初の教会であるが、現在の建物は大正8年竣工の石造り。 |
旧碓氷郡役所 |
安中教会 |
郡奉行役宅 |
【郡奉行役宅】 安中教会の隣りは安中小学校、正門前に《安中城址碑》が立っているが、遺構はなにもない。その少し先の茅葺屋根の建物が郡奉行役宅で、古図面を元に復元修理が行われ一般公開されている。 【武家長屋】 道路を挟み役宅前に武家長屋が建っている。三軒長屋として残っていた武家長屋を建築時の図面に基づき四軒長屋として復元修理したものだそうだ。 |
安中藩武家長屋 |
土蔵・なまこ壁のサカウエ薬局 |
倉の家 |
大木戸 |
街道に戻ると土蔵やなまこ壁など時代を感じさせる民家をよく見かける。 街道を進んでいくと、上野尻郵便局の前に《安中大木戸跡》と刻まれた石碑が立っている。 |
【新島襄旧宅】 大木戸の少し先に《新島襄先生旧宅入口》看板に導かれて旧宅にたどり着く。新島襄は、同志社大学を設立したことで知られているが、熱心なキリスト教信者でもあった。 【安中杉並木】 新島襄旧宅から中山道に戻りしばらくするとみごとな杉並木が見える。は昭和8年、国指定の天然記念物となった安中杉並木である。天保年間には700本以上あったとのことだが、その多くは枯れてしまったという。保存に力を入れて欲しいと願うばかりである。 |
新島襄旧宅 |
安中杉並木 |
給水塔壁面に描かれた安政遠足の図 |
【安政遠足(とおあし)之図】 杉並木のとば口にある給水塔の壁面に刀を背負った侍たちが走っている図が描かれている。安政二年(1855)安中藩主が藩士の鍛錬のため、藩士96人に安中城門から碓氷峠の熊野権現神社まで走らせた徒歩競走で日本のマラソン発祥の図といえる。 昭和50年からは「安政遠足 侍マラソン」が毎年5月第2日曜日に開催されている。仮装をしながら走れることが特徴のため、東日本大震災の昨年は不謹慎ということで中止となった。 杉並木が切れると街道の雰囲気を醸し出している古民家などが目立ちだす。 |
古民家 |
原市村戸長役場跡 |
古民家 |
古民家 |
原市高札場跡 |
八本木立場茶屋 |
地蔵堂 |
古民家街を抜けると原市高札場跡がある。ここには茶屋本陣もあり明治天皇も立ち寄っていて記念碑が立っている。 さらに15分ほど行くと八本木立場茶屋の山田家、昔から茶屋でしられていたという。茶屋の向かいの地蔵堂は、、参勤交代の諸大名が必ず下馬して参詣したと伝えられている。 |
地蔵堂を後にすると街道筋には道祖神や馬頭観音、庚申塔や夫婦道祖神などがよく目につく。自性寺山門の夫婦道祖神は、男神が徳利、女神が杯を持った珍しいものだ。 | 道祖神 |
馬頭観音 |
自性寺山門:階段脇の夫婦道祖神が左の写真 |
道祖神 |
徳利・杯片手の夫婦道祖神 |
前方に妙義山が見え隠れ |
自性寺を後にすると道は曲がりくねり前方に妙義山が見え隠れする。合流する国道18号を400mほど行き再び旧道、妙義連峰が一望できる。 しばらく行くと正面に真っ白な浅間山、下町郵便局辺りが《下の木戸》らしいが確かなことは分からない。 |
妙義山一望、』手前に碓氷川 |
松井田下町郵便局:正面に浅間山 |
下町交差点 |
仲町交差点 |
下町交差点付近には脇本陣があったらしいが何の痕跡も表示もない。ここを左に折れると妙義山への道となる。 次の仲町交差点は、宿場の中心地だったと思われるがこの辺りにも何の遺構も・表示もない。旧松井田町(安中市)は、中山道の宿場であったことに何の興味も示さなかったのだろう。 |