中山道遊山旅


2012/03/25
高崎宿 1里30丁=7.1Km 板鼻宿


 高崎宿の規模は貧弱で本陣・脇本陣はなく旅籠屋がわずか15軒、城下町ということで大名や公家は遠慮して泊まらず、一般客も堅苦しい雰囲気を嫌ったからだろう。宿場というより商業地として賑わっていたそうだ。

 高崎駅から西に向かい、中山道を横切り高崎城の水堀に沿って右折、しばらく行くと乾櫓と東門が見られる。明治新の廃城令で農家に払い下げられたが県重要文化財の指定に伴って、この位置に移築復元されたとのこと。

高崎城水堀

乾櫓と東門

大信寺
【骨肉の争い】
 乾櫓から中山道の連雀町交差点に戻り100mほど行くと大信寺、三代将軍・徳川家光の弟 忠長の墓がある。忠長は両親らに愛され、家光に変わり将軍に内定していたが《春日局》の家康への直訴などにより将軍争いに敗れ、家光によって自刃させられた。享年29歳。

 大信寺から中山道を15分ほど行くと長松寺がある。この寺の客間は高崎城から移築されたのもで忠長が切腹した部屋と伝えられている。

長松寺

岡醤油醸造

山田文庫
【煉瓦煙突】
 長松寺の少し先に、レンガ造りの煙突が見える。天明七年(1787)創業の河内屋が、明治30年に《岡醤油醸造》を開業、店構えと相まってレトロ感を醸し出している。

【山田文庫】
 その向かい側は、山田文庫のレンガ造りの塀だ。豪農だった山田家跡で、現在図書館として一般公開されている。
 山田文庫の塀に沿って直角に右折、旧街道らしい雰囲気をわずかに残す狭い道をしばらく行くと君が代橋の袂に出る。3本の国道が合流していてインターチェンジのようであり、歩行者には分かりにくい道だ。

 君が代橋で烏川を渡ると《板鼻宿5.0km 高崎宿1.1km》と刻まれた道標が立っている。以後、同様の道標が良い目安となる。
 道標から少し行くと、小さな八坂神社に《草津温泉》と彫られた大きな石柱の道標が残っている。

烏川に架かる君が代橋

道標

草津温泉道標

若宮八幡宮社殿
【若宮八幡宮】
 草津温泉道標から10分ほど行くと若宮八幡宮、平安末期の永承6年(1051)、源頼義・義家父子が建立したというから千年近い歴史を持っている。武将・兵士等の尊崇厚く江戸末期には、新門辰五郎や乃木大将などが参拝しているなど参拝者が絶えなかったそうだ。

 長い歴史をもつ境内には、榎木や椋の木、欅など何本もの巨樹が聳えている。

境内の巨木

随身門脇の榎木

街道の雰囲気を残す中山道

上豊岡の茶屋本陣
【茶屋本陣】
 八幡宮を後に常安寺への道を右に分け、わずかながら旧街道の雰囲気を残す道を少し行くと門構えの立派な上豊岡の茶屋本陣、立場に置かれた大名や公家指定のお休み処だ。
【藤塚一里塚】
 茶屋本陣の少し先で国道18号と合流する。国道を横断し碓氷川と国道間の土手道を行く。風が強く嫌になるが眺めが良いので我慢して土手道を行く。数百メートルほどで土手下の国道との間に《藤塚一里塚》が見える。江戸より28里、群馬県で唯一現存する一里塚で県指定の史跡となっている。

 土手道に戻りしばらくすると碓氷川対岸に達磨寺が見えが渡るのは数百メートル先の鼻高橋。

藤塚一里塚

碓氷川に架かる鼻高橋

鼻高橋
【達磨寺】
 欄干の上の達磨に見つめられ碓氷川に架かる鼻高橋を渡る。対岸には高崎名物のダルマ人形発祥地の《少林山達磨寺》がある。水戸光圀が尊敬していた信越禅師が開山した寺である。

 二百段余りの石段を上った奥に本殿がある。その左隣の小さな資料館には日本各地はもとより世界各国の達磨が奉納されている。群馬県出身の福田・小渕・中曽根総理大臣が選挙で使った大達磨も奉納されている。

達磨寺本殿

碓氷川に架かる鼻高橋より榛名連峰

国道の向こうに八幡宮の鳥居
 渡り返す鼻高橋からは、碓氷川越に榛名連峰がくっきりと見える。
 中山道まで戻り左に曲がると国道の向こう側に朱色の大鳥居が見える。八幡宮の鳥居で本殿は、650mほど先だ。八幡太郎義家ゆかりの寺で源頼朝や武田信玄ら名のある武将の信仰を集めていたというが、明治になってすっかり寂れ、昔日の面影は失われてしまったそうだ。

 鳥居からはうんざりする国道歩き、15分ほどでようやく国道を離れる。その少し先辺りが板鼻宿の入口だったようだが、その数百メートル先の信越線の踏切を渡るまでそれらしい遺構や史跡は見当たらない。
     中山道    アクセスカウンター