中山道遊山旅


2012/03/20
倉賀野宿 里丁間=Km 高崎宿

【倉賀野宿】
 倉賀野宿は、日光例幣使街道との追分の宿場町としてまた、利根川支流の烏川河岸への物資集散地としても賑わった宿場だった。

【閻魔堂】
 中山道と日光例幣使街道との追分に閻魔堂が建っている。傍らに常夜灯と道標がある。常夜灯は文化十一年(1814)に建立され、中山道、日光道と彫られている。道標には右江戸道、左日光道と彫られている。追分から宿場に入ると古民家や倉などもたくさん見られる。

閻魔堂:右中山道、左日光道

旧中山道道標と古民家

九品寺
【九品寺】
 中山道からわき道にそれて、延徳三年(1491)開基、倉賀野氏ゆかりの九品寺に立ち寄る。
九品寺:くほんじ

【脇本陣跡】
 街道に戻ると脇本陣跡碑が道を挟んで向かい合っている。片や跡碑のみだが、須賀脇本陣跡には明治36年再建された建物と宿場時代の門が残っている。

須賀脇本陣跡

高札場跡

キリシタン禁制の定書
【高札場跡】
 脇本陣跡の少し先に高札場が復元され、正徳元年(1711)のキリシタン禁制定書が掲示されている。 《定 きりしたん宗門ハ累年の御禁制たり自然不審の者有らば申出べし 御ほうびとして ばてれんの訴人 銀五百枚……》
倉賀野神社
 高札場を過ぎると大同二年(807)創始、倉賀野宿と近隣七ヶ郷の総鎮守である倉賀野神社。
【安楽寺】
 倉賀野神社から200mほど先に安楽寺がある。境内に室町時代の板碑が保存されている。板碑とは、正しくは《板石卒塔婆》と呼ぶもので、板状の石で造った卒塔婆のことであり、鎌倉時代から室町時代にかけて作られたが、江戸時代になるとその風習は廃れた。
 本堂裏の小山は群馬県指定史跡の安楽寺古墳。七世紀後半に造られた直径30mほどの円墳である。

倉賀野神社

安楽寺

若い松並木
 安楽寺付近が上の木戸跡で倉賀野宿もここまで、この先高崎宿まで殺風景な車道が続くが、道路造成時に植えたと思われる松並木が多少の風情を醸し出している。

 見るべきものもない退屈な道、上越新幹線をくぐり、上信電鉄の踏切を渡った辺りから高崎宿がはじまったそうだがその風情はまったく感じられない。

上信電鉄

愛宕神社

延養寺
【愛宕神社】
 江戸時代、和田城(後の高崎城)の鎮護神として京都 愛宕神社の御分霊を祭祀創建された。後に、元和三年(1617) 高崎城主松平信吉が再建、火防の神として崇敬されている。

【延養寺】
 1358年創建とされる延養寺は、足利尊氏がつくった寺とされている。寺宝は円空作とされる神像。浅間山の噴火や天明の飢饉など克明に記された文書の版木も残されている。
【諏訪神社】
 新町交差点を右に曲がると高崎駅、左に曲がるとビルの谷間に諏訪神社が残されている。龍が絡みついた鳥居が目を惹く。

【高崎城跡】
 高崎城は慶長三年(1598)、箕輪城主井伊直政が主君である徳川家康の命により和田城跡に移り築城したのが始まり。明治維新後に廃城となり取り壊された。

諏訪神社

高崎城跡
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