2012/00/000 |
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新町宿 | 1里半=5.85Km | 倉賀野宿 |
新町宿が制定されたのは享保九年(1742)と中山道の中で最も遅くできた宿場だそうだが本陣2、旅籠屋43軒とかなりの規模であった。 新町駅から国道17号線を横断し新町駅入口交差点で中山道に入る。すぐに旅籠・高瀬屋跡碑がある。小林一茶が常夜灯の寄付を強要された旅籠だそうだ。 少し行くと天文十一年(1542)開山の宝勝寺。この辺りが宿外れですぐに温井川になる。橋詰には弁財天が祀られていて、傍らに芭蕉句碑が置かれている。 中山道を挟み弁財天の向かい側にスリーデーマーチ発祥地記念碑が置かれている。スリーデーマーチは毎年、埼玉県東松山で開催されている。昨年34回を向かえたこの大会の初回と2回目がここで開催された。まさに《歩け歩け運動》はここから全国に広まったと言えるだろう。 |
旅籠・高瀬屋跡碑 |
宝勝寺 |
弁財天 |
スリーデーマーチ発祥地碑 |
伊勢島神社 |
【伊勢島神社】 温井川を渡るとほどなく伊勢島神社、中山道に点在していたであろう庚申塔や道祖神、二十二夜塔などがまとめられている。 【川端家住宅】 伊勢島神社のすぐ先に白壁の美しい塀で囲まれた屋敷が建っている。国登録の文化財である川端家住宅で、屋敷内の多くの建物は、江戸時代から昭和初期にかけて建てられたものだそうだ。 |
川端家住宅 |
中山道お伊勢の森 |
烏川堤のサイクリングロード |
関越自動車道の高架下を過ぎ烏川堤へ上るとサイクリングロードになっている。右前方に小さな森、立ち寄ってみると《中山道お伊勢の森》の案内板が立っている。洪水などで道筋は変遷しているが中山道はこの辺りを通っていたようだ。 江戸時代に堤防はなかったのでどの辺りが中山道なのかは分からない。堤防と並行した車道が旧街道かも知れないが展望の良い堤防上のサイクリングロードを行く。前方に真っ白な浅間山、その左に妙義連山、右に榛名・赤城連山など見ながらのウオーキングは快適だ。 |
新町宿から烏川沿いに進んできた道は柳瀬橋で対岸に渡る。中山道は、橋の少し下流の渡船場でつながっていた。橋を渡った少し先の岩鼻交差点を左に曲がる。右に曲がる道が渡船場につながっていた。 岩鼻交差点角の観音寺には、岩鼻代官所初代代官・吉川栄左衛門貞寛の墓がある。寺の裏手の公園に国定忠治と関わりのある岩鼻代官所跡が残っている。 国道17号を横断、JR高崎線をくぐりしばらく行くと閻魔堂、倉賀野宿の入口であり常夜灯や道標もある。中山道と日光例幣使街道の追分でもある。 |
観音寺 |
閻魔堂:右中山道、左日光例幣使街道 |