中山道遊山旅


2012/02/08 他
上尾宿 34丁=3.67Km 桶川宿




遍照寺
【遊女の墓】

 上尾宿には飯盛女が大勢いた。川越から若侍が三里の道も厭わず毎晩のように通ってきたそうだ。川越藩は風紀の取り締まりが厳しく遊女御法度だったからだろう。

 上尾駅交差点から200mほど先、中山道から少し離れた遍照寺に《遊女・お玉》の墓がある。墓には戒名が彫られ、飯盛女としては極めてまれなほどに手厚く葬られている。墓の案内に《孝女 お玉の墓》とある。親孝行な娘だったからだろうが《遊女・お玉》ではなく《孝女・お玉》とした人の優しさを思う。25歳で亡くなったという、気立てが良かったであろうお玉さんに合掌…。

上:案内板、下:お玉の墓


市神と市場定杭
【上尾宿庚申塔】
 遍照寺をあとにし中山道に戻るとすぐに郵便ポストを背負った(ように見える)庚申塔が立っている。左側面に《上尾上町講中》と彫られている。


【平成の道標】
 庚申塔の少し先に《平成の道標》と呼ばれる立派な屋根瓦の案内板が置かれている。屋根に魔除け、火除けの鍾馗様がのっている。昭和30年代まではまだこのような鍾馗様を屋根にのせている家もたくさん見られたそうだが、今ではほとんど失われてしまったそうだ。

平成の道標、屋根に鍾馗様

【街道沿いの旧家】
 北上尾駅入口交差点を少し行くと中山道沿いの塀の中が樹木に囲まれた大きな民家がある。道沿いに門扉のない出入り口があり、遠慮がちに少し足を踏み入れると時代を感じさせる瓦屋根の塀と門扉、まるで映画のセットような風景だが何の案内もない。
 紅花仲買いで財を成した須田家とのこと。この辺り一帯は18世紀の終わり頃から紅花の生産が盛んだったそうだが、明治以降は科学染料に押され衰退した。須田家には紅花関係の古文書が400点ほどあり上尾市指定有形文化財となっている。

街道に面した旧家の門(須田家)

500m四方ほどの須田家の敷地を囲む塀


雷電神社狛犬(左)

雷電神社狛犬(右)
【雷電神社】
 街道の左、線路近くに雷電神社がある。江戸時代には街道筋にあったが明治になってから現在地に移転された。左右とも《阿》の異相な顔の狛犬がいる。

【木戸跡】
 雷電神社から中山道に戻りしばらく行くと川越街道と分かれる交差点に、史跡木戸跡の石柱がある。江戸側の木戸のため、「南の木戸」や「下の木戸」と呼ばれている。

雷電神社

木戸跡碑


浄念寺仁王門
【旅籠の面影残す旅館】
 旅籠の面影を色濃く残す国登録有形文化財の武村旅館、間取りなどはほぼ当時のまま。和宮が本陣に泊まったとき、付き添いの山岡鉄舟が泊まっている。

【浄念寺仁王門】
 浄念寺は天文十五年(1546)創建。朱に塗られた仁王門は元禄十四年(1701)に再建されたもので、楼門下の一対の仁王像は明和五年(1768)に開眼された。

【浄念寺板石塔婆】
 最も古いものは正和四年(1315)、最も新しいもでも天文十九年(1550)のものである。中央の一番大きなものは朗海上人を供養するためのもの。

武村旅館

浄念寺板石塔婆
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