中山道遊山旅


2012/02/08 他
大宮宿 2里=7.8Km 上尾宿




                 大宮宿臼倉本陣跡跡碑

 大宮宿の本陣の一つ。裏手に当たる店舗の前には、当時からの井戸水が流れ、つくばいの流水と呼ばれていた。

                  阿弥陀堂(御影堂)

 大栄橋の袂の阿弥陀堂は、大宮宿の脇本陣をつとめた栗原一族の持仏堂で通称《御影堂》と呼ばれている。


氷川神社
【氷川神社】

 武蔵国の一ノ宮であり、大宮の地名の由来大いなる宮居ともなっている神社。創建は、今から2400年有余年の昔、第五代孝昭天皇の御代三年の創立、各地に点在する氷川神社の本拠を成す存在である。


裏参道入口碑と鳥居


道標(安政七年造)
【大山・御嶽山 道標】
 東北線を地下道で潜りしばらく行くと安政七年(1860)の道標がある。中山道から西へ大山、御嶽山方面への道が分岐していたのだろう。

【八百姫大明神】
 道標の東側80m辺りに中山道と並行した幅3.5mほどの道がある。古中山道らしいとのこと。道脇に八百姫大明神が祀られ古い道であることが分かる。八百姫は、人肉を食べて800歳まで生きたといい、ここに しばらく滞在していたという伝説が残る。

八百姫大明神(古中山道か?)


猿田彦大神(東大成庚申塔)
【石上神社】
 中山道から左の脇道を少し行くと、江戸時代の絵図にも載っている小さな祠がある。疱瘡の神様として人々の信仰を集めてきた古い神社だ。

【馬頭観音供養塔】
 天保三年(1832)造立。「此方 せいふ 四り半 きさい 五り半」とあり、菖蒲、騎西方面への道標を兼ねていた。(せいふ:菖蒲、きさい:騎西)

【東大成庚申塔】
 元禄十年(1697)建立、高さ1.4m。正面に青面金剛像・二鶏・三猿が陽刻されている。赤い鳥居が建ち「猿田彦大神」の額がかかった祠に安置されている。 今でも伝統を受けついで、年1回の講を開催しいるとのこと。

石上神社

馬頭観音供養塔


天満宮
【史跡の保存に思う】
 宮原駅から中山道に出てしばらく行くとバス停の傍らに2つに割れた遺構が無造作に置かれている。《天神橋》と彫られているが何の説明もない。調べてみると、昭和初期までこの地点に架けられていた石橋の欄干とのこと。すぐ近くに菅原道真を祀る天満宮が建っているので《天神橋》と呼ばれたのだろう。かつては橋の袂に茶店もあり加茂宮村の中心的集落であったそうだ。今、川は暗渠に変わり《天神橋》は、バス停にその名を留めるのみである。
 石橋遺構のすぐ近くの塀の窪みに庚申塔がある。宝暦三年(1753)造立の庚申塔だ。旧道の整備に伴い、個人宅の好意を得て移設されたのだろうが、これにも何の説明もない。

遺構:天神橋欄干

塀の窪みに庚申塔


鎮守の森(加茂神社)
【鎮守の森】
 石橋遺構を後にすると右前方にこんもりとした鎮守の森が見える。渓斎英泉が木曽街道の浮世絵《上尾宿 加茂之社》に描いた加茂神社の森である。神社の創建時期は不明だが、天正10年(1582)の古文書に加茂宮と記載されている古社だ。境内には江戸中期の石灯籠や手水盤などがありよく手入れされた神社である。こんな鎮守の森をいつまでも残してほしいものだ。

【栴檀】
 明治初期、加茂学校(現・宮原小学校)開港当時、先生の一人が郷里の高知県から苗木を持ち帰り植えたものであり、校歌にも詠われている。

栴檀


馬喰新田
【馬喰新田】

 加茂神社から1km余り、南方神社を過ぎると上尾市、すぐに《馬喰新田》バス停近くの三角空き地に寛政十二年(1800)に造立された庚申塔がある。側面に川越へ三里等と彫られ道標を兼ねていて上尾市の登録有形民俗文化財に選定されている。尚、時代を感じさせる《馬喰新田》という地名は《続膝栗毛(中山道中)》に銘酒の名高き酒屋のある地名として紹介されている。

南方神社


愛宕神社
【愛宕神社】

 《馬喰新田》から少し離れた愛宕神社には、小さな祠に収まった享保7年(1722)造立の庚申塔があるが、社に納まり状態も良いように思えるがこちらは文化財登録がされていない。

庚申塔


古民家屋根上の鍾馗様
【鬼瓦に対抗して鍾馗様】

 上尾市に入ると所々に《中山道》と書かれた標柱が立ち、古民家も見られるなど街道歩きの情緒を醸しだしている。井上脇本陣のあったところは駐車場となり、その塀に井上家の屋根に使われていた鬼瓦が見られる。鬼瓦に追われた厄鬼は、前の家に行き災いを起こすと信じられ、対抗して屋根に鍾馗様を飾るという珍しい風習があったそうだ。

 上尾駅近くの線路沿いに、15-20cm大の瓦製鍾馗人形を屋根に載せた民家が残っている。大きな眼で何かを睨みつけている鍾馗様は魔よけの効験があるとともに雷除け、火除けの神ともされている。以前は古い家には鍾馗様が多く見られたが、今はほとんど見られないとのこと。上尾駅交差点から800mほど先の小公園に《上尾宿案内板》がありその屋根瓦の上に鍾馗様が見られる。

脇本陣跡に鬼瓦

屋根に鍾馗様を載せた古民家


氷川鍬神社
【上尾宿 学問への意欲】

 氷川鍬神社は、寛永九年(1632)鍬大神宮として創建された。当時の上尾宿名物は鉄製の鍬や鋤、明治四一年(1908)二ツ宮氷川神社を合祀して氷川鍬神社となった。上尾宿の総鎮守であり、神社の正面に本陣その両側に脇本陣と上尾宿の中心地であった。
 天明八年(1788)境内に《聚正義塾》が開かれた。宿の人々がお金や資材を出し合う公立学校のようなものだ。菅原道真と朱子学の創始者・朱文公を祀った《二賢堂》と呼ばれた。義務教育が確立する100年も前のこと、上尾宿の人々の学問への意欲と熱意のほどが伺われる。

氷川鍬神社

二賢堂碑
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